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貿易屋、恵美の大冒険-マンハッタンに眠るジャパニーズドールと謎の屏風-

-本人曰く、フィクションだけど、モデルはいる。まさに事実は小説より奇なりと。年齢的に相手してくれないとの事なので、敬老精神を発揮して、当ブログの場を提供する事にしました^_^ブログでミステリー小説発表というのも初めての試みでは。舞台はニューヨークと祇園、私も店も出てきます。古美術をめぐる裏話、アクション、謎解き、ミステリアスなクライマックスへと展開します。個人的な感想では、中々オモシロイですよ!八十歳の誕生日を迎えたばかりの友だちが、ミステリー小説を書き上げました。なんとギネス級の最高年齢のミステリー作家の誕生で、もはや存在そのものがミステリーです。ではどうぞお楽しみください!

[森田  公之]
ニューヨークに、天国に最も近い住まいと呼ばれるアパートメントがある。
とても高い。
といって天空に向かってそびえ立つような建物のことではない。
入居するには、おそろしく、その敷居が高いのだ。
不動産価格が世界一と言われる五番街で、セントラル・パークに面した一角を占める十二階建てのビルである。
一九二十年代に完成し、当時流行したルネッサンス時代のパラッツオ・スタイルを取り入れている。積年による風格はあるが、取り立てて人目を引く建物ではない。
しいて言えば、最上階の軒下に一定の間隔で取り付けられ、緑あふれるパークを見下ろしているガーゴイルの精緻な彫像が珍しいぐらいだろう。だが古きヨーロッパの風習を伝える奇怪な容貌の怪物たちも、はるか眼下の五番街を、忙しげに往き来する通行人の目には止まらない。
それでも羨望と多少のいまいましさを感じながら、横目で見て通り過ぎるニューヨーカーが多いのは、このアパートメントが地位と財産に恵まれた超セレブの人たちで占められているからだ。
ひとたびその一隅に居を定めることが出来れば、どれほど高級なクラブやレストランでも、常に最上席が無条件で約束される。
空き部屋が出ることは滅多にないし、たまに空いても、世間に洩れてくる頃には、すでに埋まっている。
目の飛び出すような価格に一瞬でも躊躇すれば、チャンスは二度とまわって来ない。
ニューヨークでは別格扱いされている伝説のアパートメントである。

目の良い通行人なら、時として最上階の窓辺にひとりたたずむ女性らしい人影に気付くことがあるかもしれない。
だがその人が、十二階のフロア丸ごとの持ち主であるとは思いも寄らないだろう。
さらに近づくことが出来れば、豊かな金髪を長く垂らし、すらりとした姿勢で立つ端正な顔立ちに眼を奪われ、六十代にしか見えないその人が八十歳近いと知れば、言葉を失うに違いない。
その肌は異常に青白く、どこか深海魚のそれを思わせる。
信じられないことだが、もう半世紀近く、彼女はこのアパートメントの十二階から、一歩も外へ足を踏み出したことがないのだ。
キモノのような白いシルクのガウンをまとったその人はセントラル・パークを見下ろしているが、眼差しはうつろで、公園を覆う樹木は、ただ陰影のある緑として網膜に映っているだけである。
今彼女の心はニューヨークを遠く離れて、海の彼方の小さな島国を漂っているのだ。
ー青い海、火を吹く山、木と紙の美しい家・・・私のふるさと・・・ー
だが、しばらくして唇に微笑が戻ると、その人は緞帳のようにどっしりしたダーク・グリーンのカーテンをそっと閉め、室内を振り返る。
外光を完全に遮られ、巧みに工夫された間接照明の柔らかな光りが満ちた部屋は、ちょっとした人数のパーティーでも混み合わないほどの広さがある。
淡いピンク色の漆喰の壁とウォール・ナットの腰板で取り巻かれ、木のフロアは美しいモザイク模様で、かってこの部屋が舞踏会のためのボール・ルームとして用意されていたのは明らかだ。
だが華やかなパーティーが開かれた形跡はどこにもなく、かわりに奇妙で、異様な光景が目に飛び込んでくる。
室内には、高さが腰ほどもある数多くのテーブルが整然と並べられ、古い日本のあらゆる建物のミニチュアがぎっしりと据え置かれているのだ。木製で細部にいたるまで精巧に造られていて、屋根や壁、塀などは実物そっくりに彩色されている。まるで映画の特撮用のスタジオに迷い込んだようである。
一辺が一・五メートルの、がっしりした正方形の黒い木のテーブルが、四個集まって三メートル角のブロックを形成し、そのブロックが四つあって、人が充分に歩けるほどの十字状の通路を中心にして、きちんと向き合っている。
全てのブロックには、様々な模型の民家や商店、料理屋やお茶屋などが軒を連ね、歌舞伎小屋や見世物小屋が点在する。
十字の横線にあたる|の通路の両端を塞ぐように単一のテーブルがあり、それぞれに城の天守閣と御所の御殿が相対するよう置かれている。天守閣は高さが一メートルを軽く超え、ひときわ目立つ存在だ。
民家の屋根や二階は取り外せるようになっており、畳が敷かれた室内には家具や小さな備品まで細かく配置されている。障子や襖はなめらかに開閉し、雨戸は戸袋に収納され、庭には雪見灯篭が立っている。
五層の城は各階が積み重ねられ、御殿の屋根は本格的な桧皮葺だ。歌舞伎小屋では回り舞台から、いくつかの違った背景まで用意されている。観客席には小さな座布団がところ狭しと散らばっていた。
小さな妖精のような人たちが住んでいて、突然、みんなどこかへ消えてしまった、そんな様子だ。
広い部屋の一方の壁際には背の高い猫脚のキャビネットがあり、観音開きのガラス戸の奥には、何段にもわたって、数多くの小さな人影が静かにたたずんでいる。
お公家様に官女、お姫様に若殿、侍や町娘、商人に職人、歌舞伎役者など、模型にフィットするよう特別に作られた人形たちだ。
大きさはせいぜい七、八センチだが、よほど優れた人形師の手になるのだろう、今にも動き出しそうである。
窓際を離れたその人はキャビネットに近づき、ガラス戸を開け、町娘を取り出す。
ー今日は私は町娘・・・あなたは・・ー
と首をかしげて、
ー若殿様ー
ふたつの、いやふたりの人形を胸に抱え、彼女はすべるようにミニチュアの町並みの間を歩く。
ビデオでこの情景を撮れば、それこそSF映画の一シーンになる。
城に着くと天守閣の屋根を外して、若殿をそっと窓際に置く。
町娘は、城のお堀に掛かる太鼓橋の赤い欄干の側らだ。
何気ない素振りをしているが、甘い期待が胸をときめかす。
ー若殿様。私を一目見て、恋に落ちるのですよー
何といっても、私は町一番の美人なのだ。
その人はしゃがみこみ、顔を人形に寄せ、町娘の目線になって天守閣を見上げる。
すると世界は、たちまち古き良き時代のミヤコに変わる。
キョロキョロ辺りを見回していた若殿様が下を向く。
視線が合い、慌てて目をそらす。そ知らぬふりをすることが大事なのだ。
爽やかな風が吹きぬけて、キモノの裾が乱れ、白い指先でそっと押える。
ホラ、お城から若いサムライが飛び出し、駆けてくる。
ー失礼します。若君様がお目にかかりたいとおっしゃっておいでですー
弾む心を押えて、穀然と返事する。
ー困ります。そのようなお申し出はまず父にお話下さいませー
そう、私は日本のムスメなのだから。
落ちてゆく。甘美な幻想はどこまでも広がり、優しく彼女を包み込んで、夢の世界へといざなう。
時は流れ過ぎ、広大なアパートメントは静まり返って、誰も邪魔をするものはいない。
何十年も彼女の世話をしている忠実なメイドは女主人の望みを良く知っており、離れたキッチンにこもって、呼ばれない限り、決して近づきはしないのだ。

彼女の父親はたった一代で、鉱脈を求めて地を這いずり回る極貧の生活から、アメリカで一、二を争う大富豪にのし上がった男だったが、家族の愛情には無縁だった。
両親は若くして失い、兄弟や姉妹もなく、心を開くことが出来る友人は生涯得られなかった。
彼が五十歳半ばの時に、二度目の妻との間に生まれたその人が、はじめての子供である。
父親は娘を溺愛した。
その人が望むことは何でもかなえられたが、彼女の遊び相手は、ヨーロッパ生まれの、内気で優しい母親以外にいなかった。
二十世紀始め、親子三人が住んでいたのは、シャトーのような大邸宅で、百二十数室もあり、当時のニューヨークでは最大の建物だった。
大量の石炭を運搬する専用列車のレールが、港から邸宅まで敷かれており、厳しい冬でも、全ての部屋が暖かく、居心地良く保たれていた。社交的な目的で招かれたり、訪れたりする人間はほとんどおらず、多くの部屋が無人だったにも関わらずである。
人々は、Hollow mansion( 空っぽ屋敷)と呼んで、嘲笑った。
字が読めるようになると、彼女は父親の写真と名前をしばしば、新聞で見かけるようになる。
ある日、彼女はその新聞を父親に見せ、尋ねた。
ーパパと並んで写っているロックフェラーというおじさん、お友達なの?ー
父親は新聞を引き裂き、はき捨てるように言った。
ー友達じゃない。コイツはパパと同じぐらいお金を持っているだけだー
それから父親は、その人をそっと抱き寄せた。顔の下半分を覆う白いヒゲが頬にすれ、嫌な匂いがした。彼女は身をそらせたくなったが、じっとガマンした。
ー良くお聞きー
ーハイ、パパー
ーパパやママ、それからお前には友達はいないんだよ。今も、これからもねー
ーハイ、パパー
ーお前は美しい。大きくなると、きっと大勢の男たちがやってきて、お前を愛してると言うー
ーハイ・・・パパー
ーでも、誰ひとり、いいか、ひとりもだぞ、本当にお前を愛している者はいないんだ。そいつらが愛しているのはお前の持っているお金だけなんだよー
(他人が愛しているのは、お前のお金だけだ)
父親は繰り返し、繰り返し、そのことだけを娘に吹き込んだ。
結果として彼が言いきかせていたことは間違っていなかった。
父親が亡くなってから、母親の勧めで、不本意ながらした結婚は惨めな結果に終わり、入り婿だった男は、百万ドルの手切れ金を貰うと、嬉々として出て行った。
物心がついてから、彼女が出会ったのは、どれもこれも、平気でウソをつき、互いに傷つけあい、醜い欲望で目を血走らせながら、脂ぎった手を差し出してくる男たちばかりだった。
ーパパが言ったとおりだ。この世界で私を愛してくれる人はいないー
母が亡くなると、ひとりぼっちになった彼女は大邸宅を処分し、建築中のアパートメントの最上階を買いきり、世間とのつながりを絶ってしまった。
気の遠くなるような長い年月、この十二階がその人の全世界だった。
最後にセントラル・パークを散策したのは、まだ日本との戦争が続いていた頃である。
半世紀以上にわたり、彼女が信頼を寄せる限られた人間だけが、その生活を外の世界から守っていた。
いつしか彼女の存在は忘れ去られ、話題に上がることさえ無くなってしまっていた。

二十一世紀になり、体調を崩して、密かに入院した老婦人が、アメリカ屈指の資産家の女相続人であり、二十代半ばから、伝説のアパートメントに閉じこもりきりだったことが分かると、全米が騒然となった。
かって「世界で最も金持ちの娘」として、その一挙一動が新聞紙上を賑わせたその人が、半世紀を経て、ふたたびマスコミの注目を浴びるようになったのだ。
魅力的で裕福な若い女性が、アパートメントの中だけで、どう人生を過ごしたのか? ひょっとして秘められた恋人が? そして莫大な資産はどこへ?
彼らは必死になって、彼女を取り囲む壁を突き崩そうとしたが、全て徒労に終わった。
アパートメントで暮らした長い年月、彼女に関わっていたのは、わずか数名の人たちであり、彼らは、マスコミからどのようなアプローチをされようと、貝のように口を閉ざしたままだった。
いつしか、その人は、こう呼ばれるようになる。
史上もっともミステリアスなアメリカ女性、と。

第一章

京都の東西をつらぬくメイン・ストリートの四条通りは、散策する観光客で、何時も混みあっている。英語、中国語、フランス語、韓国語、そのほか様々な異国の言語が飛び交い、日本人のほうが肩身が狭そうに通り抜ける。
突き当たりの東山に沿って南北に東大路が走っていて、ちょうどT字の要にあたるところが、祇園祭で有名な八坂神社だ。
その紅色の鮮やかな楼門を見上げながら東大路を北へ少し進むと、右手に臨済宗の本山、知恩院へ向かう上り坂の参道が見えてくるが、その反対側、大路をはさんで市中へ伸びている路がある。
四条からわずか二、三分の距離なのに、人通りはバタリと途絶える。
歩を進めて行くと、すぐ三階建ての京都美術倶楽部の近代的なビルが眼につく。その並びには古美術や骨董業者などの店が、数多く点在している。今風のしゃれた設計の建築は少なく、町屋を改装したものが多い。
大きく、明るいウインドウごしに、並べたてた美術品が一望出来る店があるかと思えば、狭い店先にごちゃごちゃと骨董や道具類を積み上げ、何を扱っているのか、得体の知れない業者もいる。
ぶらぶら歩いていると、薄暗い店奥から、うかがうような視線を感じる。
静かで、落ち着いた雰囲気だが、どこか時の流れに取り残されてしまったような空気がただよっている。
この通りを新門前(シンモンゼン)と言う。
根っからの京都人以外には、あまり馴染みの無い地名だが、明治から昭和にかけて、ジャパン・シンモンゼンは、欧米のセレブの間では、知らぬ者がいないほど、知れ渡っていた。
第一次大戦後、イギリス王室のプリンス・オブ・ウエールズが、わざわざ熱望して訪れている。
もともとは知恩院の門前町として、仏具や茶道具を扱う店があるぐらいの静かな通りであったが、明治に入り、骨董を扱う商人が集まり出して様子は一変する。
彼らは江戸時代の人間には想像も出来ない、新しいビジネスのパイオニアだった。開国した日本に観光でやってくる欧米人相手に骨董を売り込むのである。
「貿易屋」と呼ばれた。

四隻の軍艦を率いて来訪したペリーに強いられた日本の開国は、砲艦外交として、強面にとらえられることが多いが、見方を変えれば、西欧諸国の熱烈なラヴ・コールの現われとも言える。
徳川幕府の厳しい鎖国政策によって、江戸時代の庶民は、西洋文化のことを知るよしもなく、当然、関心もなかったが、異国の人々は、この東の端にポツンと存在する、神秘的な島国に熱い視線を注いでいた。
垣根をめぐらせば、めぐらすほど、覗き込みたくなるのは、人の常である。
十七世紀、オランダで刊行された日本を紹介する「モンタヌス日本誌」は、数ヶ国語に翻訳され、あっと言う間にヨーロッパで広く読まれるようになったが、その中で当時の大坂城を、『世界の七不思議』に次ぐ、八番目の不思議とまで持ち上げている。
アジアの国々で、日本に特別な関心が注がれていたのは間違いない。
いざ垣根が取り除かれると、ヨーロッパやアメリカの人々は、美しい自然と優美なキモノや精緻な美術・工芸品に夢中になる。
裕福な人々も、庶民も、競うように日本的な品々を求め、その文化に触れようとするフィーバーが起こった。
「クール・ジャパン」は、明治に始まっていたのだ。
ジャポニスムである。

Antique & Curio(古美術と骨董)
残された数少ない明治や大正の写真を見ると、新門前通りにある「貿易屋」のカンバンは横文字であふれている。
片言の外国語をあやつる機知と居丈高なガイジンの懐に飛び込んでいく度胸さえあれば、当時の京都は、まさに濡れ手に粟の世界だった。
文明開化の名の下になだれ込んでくる西洋文化に日本人はあこがれ、慣れ親しんだ文物を惜しげもなく捨て去った。
根付けという装身具がある。欧米人の間でも、ネツケで通用する。
手のひらにすっぽり収まる、丸みをおびた、小さな彫刻物だ。
象牙、鹿の角、つげの木などに、見事な技術で、様々な意匠が掘り込まれている。印籠や煙草入れを、帯から吊るして持ち歩く時に、抜け落ちないよう、紐の端につける留め具である。
これが外国人の間で、異常な人気を呼んだ。
一方、着物を脱ぎ捨て、得々として洋服を愛用するようになった日本人には、印籠も根付けも、ただの封建時代の遺物に過ぎない。
「貿易屋」の手元には、一山いくらの捨て値で根付けが、どんどん集まってくる。それを一点づつ、好き放題の値段をつけても、あっと言う間に売りさばくことが出来た。
日本の文化史上、非常に貴重な美術品や工芸品が大量に海外に流出してしまった時代だ。
事実、この頃の「貿易屋」ほど恵まれた環境の商売人はいないだろう。
シンモンゼンの古老が語る有名な伝説がある。
大阪の池田の出の男が神戸港で、ゴザにガラクタを並べてボロ儲けし、京都の新門前へ骨董の店を出した。大いに繁盛したが、息子がお茶屋遊びで五十万円の穴を開けて店をたたんだ。
現在の五十万では、勿論ない。
大阪のシンボルそのもの、大坂城の天守閣が昭和始めに復元された費用が四十三万円である。
骨董屋の息子の色町でのツケが、「城」の建築費を超えているのだ。
たがが外れてしまったような、凄まじい金の使いっぷりである。
シンモンゼンは、いつしか青い眼の紳士、淑女が我が物顔に歩き回り、一般の京都人にとっては近寄りがたい、別世界のような通りになっていた。
ーまるでゴースト・タウンやなー
車に乗り込む客を見送るので、店先まで出てきた谷山浩二は、ガランとした通りの左右にちらっと眼を走らせ、内心ため息をついた。
明治二十八年創業の「谷山―TANIYAMA」は新門前通りでも老舗の美術商で、浩二は四代目のオーナーになる。
店の間口は四間近くあり、三分の二を大きなガラスのショウ・ウインドウが占め、入り口のドアもガラスなので、店の内部は外からひと目で見渡せる。
趣きのあるささやかな飾り窓に、店主自慢の一点を置き、コレといった逸品は店奥に隠しておく、どこか取り澄ました現在の古美術商のイメージは欠けらもない。
何もかもさらけ出すように、様々な古美術、骨董、工芸品がびっしりと飾られている風変わりなデイスプレイを見れば、この店のもともとの客筋が異国の人々なのは明らかだった。
今でこそ周辺に展開する数多くの古美術商の中では目立たなくなってしまったが、ここは唯一存続している草分け時代からの「貿易屋」である。
当然一昔前まで「谷山」の顧客は殆どアメリカ人ばかりだった。
子供のときから店のショウ・ルームを遊び場にしていたので、彼はガイジンさんで賑わっていた「EXPO70」時代の新門前を良く憶えている。強烈な香水の匂いを振りまき、色鮮やかな服装の大柄な彼らは子供好きで、店をうろちょろする浩二は人気者だった。
「オゥ、キュート!」と大柄の婦人に抱き上げられ、チュッとほっぺにキスされると、次々と洗礼を受け、小さな顔一面に鮮やかなキス・マークがついて、店内は爆笑につつまれる。
小さくても大人の関心を惹きつけているのが分かるので、ちょっと得意げになり、それがまた、笑いを呼ぶ。浩二にとって身近にガイジンさんがいるのは当たり前の光景だった。
青年になると背が高く、目元、口元の爽やかな浩二は、違った意味で若い外人女性の注目を引くようになる。明るく、気さくで穏やかな性格なので、良くモテた。
初体験の相手も、店で知り合った米国エア・ラインの「スッチー」である。若い頃はそれなりにデートをし、祇園で遊びもしたが、最近はとんと足が向かなくなっている。
たかだかここ十年のことなのに、浩二にはもう遠い昔のような気がする。
ーそういえば、ここんとこ、アメリカ人はまったく見かけないな。こんなにいい時期なのにー
うだるような夏と底冷えの冬に挟まれて桜と紅葉の京都は確かに素晴らしいが、浩二は若葉でむせ返るような今の季節が大好きなのだ。
「・・・・教えて下さいね」
気がつくと、「谷山」には珍しい日本人の女性客が、妖艶な笑みを浮かべながら、車中から浩二を見上げている。半開きのウインドウに、さり気なく置かれた左手の紅いルビーの指輪が光る。
「ハ、はい?」
ぼやっとしていた浩二は最初の方を聞き落としている。
「オーナーは祇園の美味しいお店は詳しいですから」
浩二の傍らに控えている店員の山崎恵美が助け舟を出してくれた。
「あ、あ、勿論です。その際はお差支えなければ、ぜひお供させて下さい」
「本当に? お約束しましたわよ」
芦屋に住む製薬会社の社長夫人は浩二の眼を覗き込み、恵美には一瞥もあたえず、ドライバーに合図をして車を出させた。
浩二と恵美は深く頭を下げて見送る。
「相変わらずオーナーはモテますね」
頭を下げたまま、恵美はからかうように言った。
「アホなこと言うな。何事も商売第一や」
浩二も頭を上げずに応える。
「ほんとかな。アブナイ、アブナイ」
「ふたりとも何時まで頭下げてますのや。車はとっくに行ってしまいましたで」
後ろから声をかけたのは番頭格の森本伊助である。

二十世紀に入ると、わが世の春を謳歌していたシンモンゼンにも、秋風が吹き始める。
エキゾチックで神秘な国のイメージは、次第にヨロイ、カブトに身を固めたサムライの後裔たちに取って代わられていく。
欧米でのジャポニスムの熱気は急速に冷えていった。
ヨーロッパはナチスの影に覆われ、日本は対米関係が悪化し、そして、とうとう開戦。
シンモンゼンに訪れた長い、長い冬の始まりだった。
店の後継者や番頭を徴兵され、稼ぎ手をなくし、消えていった店も多い。
「谷山」が、何とか持ちこたえられたのは、三代目の息子が無事復員出来たことと、先を見越して貯めこんでいた豊富な貯蓄のおかげである。
やっときた終戦。大戦の痛手からいち早く立ち直ったのは、新門前の骨董街だった。
昨日の敵は今日の友。
幕末の開国にしろ、昭和の敗戦にしろ、先ずガイジンからカネを稼ぎ出したのは、骨董をビジネスにする人間たちだ。日本人は古来の文物を、最初は舶来礼賛から捨て、戦後は飢えから売り払わざるを得なかった。
一九三十年代の後半から四十年代の半ばまで、世界中を巻き込んだこの大戦で、敗戦国の日本やドイツ、イタリアのみならず、戦勝国のイギリス、フランス、ソ連、中国まで戦場になった各国は一様に疲弊し、国民の多くは貧困と飢餓に苦しんだ。
素っ気ない言い方をすれば、アメリカのひとり勝ちである。
その一方、皮肉なことに戦争は航空産業を急速に発展させ、大勢の人々が気軽に、そして短時間に移動することを可能にした。
一握りのセレブたちが優雅な船旅を楽しみ、我が物顔に世界をのし歩いていた時代は過去のものとなり、国際的なツーリズムが庶民にも広がり始める。
主役は世界最強の通貨になったドルで懐を膨らませたアメリカ人だった。
一ドルが三百六十円の固定相場だった時代である。
まだ戦争の傷跡が残る日本へ、富裕層は豪華客船のクルーズで、庶民はパンアメリカン航空の大型旅客機で、どっと押し寄せてきた。
さんざん痛めつけてやった日本を見聞し、今度はドルをバラまいて復興を手助けしてやろう、そんな思い上がりも無かったとは言えないだろう。
アメリカ最大のホーム・マガジン《ハウス ビューティフル》が「シブイ」をテーマに和の文化を大特集し、フジヤマ、ゲイシャだけだった日本のイメージを一変させる。屏風や掛け軸、仏像などを飾り立て、庭園には石燈籠を据える日本趣味がブームになった。
流行にさといハリウッドが見逃すはずがない。戦争中は戦意高揚の映画で日本兵を殺しまくったジョン・ウエインは「黒船」でハリスに扮し、小柄な日本人にジュウジツで投げ飛ばされた。マーロン・ブランドは「サヨナラ」でレヴュー・ガールに恋をする。ロバート・ミッチャムと高倉健が「ヤクザ」で共演して、大暴れする。京都の街中で来日したハリウッドのスターたちとすれ違うことが珍しくなくなった。
シンモンゼンの通りは、行き来するアメリカ人でごったがえした。
吹き荒れる嵐の中で青息吐息だった「貿易屋」が息を吹き返す。
「谷山」は、またたくまにスタッフを三十名近くかかえる新門前随一の大店にのし上がっていた。同じように古美術や骨董を扱う他の店舗では二、三名で切り盛りしているのに、異例の大所帯だった。来客数が飛びぬけて多かったのである。
一階のみならず、二階までショウルームを広げ、それでも収まりきらないほどの、豊富な品揃えを自慢にしていた。
営業にあたる店員が、全て英語が堪能で、欧米人相手の古美術品ビジネスのノウハウを熟知していたのも大きいが、何と言っても最大の功労者は浩二の祖父にあたる二代目の源次郎だった。
彼は古美術・骨董にこだわることなく、一般的なツーリスト向けの安価で量産がきく商品の開発にも力を入れた。
戦後のツーリズムの到来をいち早く見抜いていたのである。
伝統工芸の技術を生かした数々のジャパン・テイストのスーベニア・アイテムがヒットし、店は拡張につぐ拡張を重ねた。
観光バスが停まると大勢のアメリカ人観光客が「谷山」に吸い込まれて行く光景が日常になる。販売に当たるスタッフは昼食もろくに摂れないほど店内は混み合い、文字通りドル紙幣が宙を舞っていた。

伊助は昭和三十年代の半ばに地元の高校を卒業し、世話する人があってすぐ「谷山」で働き始めて五十年を越える。二代目の源次郎に厳しく仕込まれ、その博識ぶりは京都の古美術商仲間からも一目置かれており、浩二も頭が上がらない。七十の坂を過ぎて髪も白くなっているが、奇麗な歯並びで、背筋はピシッと伸び、年齢よりずっと若く見える。
源次郎の孫になる浩二は仕立てのいいスーツに身をつつみ、趣味の良いネクタイをして、古美術店のオーナーと言うより商社マンのようである。
ふたりとも身長は百七十を軽く超えているので、実の親子と間違われる時が多い。浩二は全く気にしないが、伊助は何時もムキになって否定する。
「伊助さん、それにしてもガイジンの姿を見かけないね」
店内に戻りながら、浩二は照れ隠しで話しかける。
「ぼん、今ここでは外人いうたら中国人でっせ。景気のエエ話はみんな中国骨董ですもん」
「と言ってうちは昔から中国もんは扱ったことないしなあ」
「はあ、わしも苦手ですわ」
伊助も頭をかく。
「じゃあ、私は奥様がお買い上げくださった伊万里を裏で包んできます」
と品物を抱えて、ショウ・ルームから事務室に入っていく恵美を伊助は見送って、
「あの子はホンマにひろいもんでしたなあ。気が利くし」
「そうやね。恵美ちゃんは良くやってくれているよ。聞き覚えの我々と違って、英語も本格的だからな」
「その上、美人やし。嫁にしたらいうことおまへんで」
ニヤニヤしながら浩二の顔を見る。
「なんだよ」
「ぼん、もうええ加減に年貢の納め時でっせ。何時までもふらふらしてたらあきまへんがな。ちょっと声かけてみたらどうです。恵美ちゃん、ぼんに気があると思うな」
「余計なお世話だよ。あの年頃の娘(こ)にしたら、自分なんかもうおじさんだよ。ボーイ・フレンドもいるやろし。それより伊助さん、いい加減に、ぼん、ぼんと呼ぶのは止めてくれよ」
「はい、すんまへん。彼氏がいるかいないかは、訊いてみな分りまへんやんか、ぼん」

二人の会話は恵美に筒抜けだった。
奥の荷造り場に向かった彼女はハサミを取りに事務室へ戻っていたのである。
ー気がある? 何言うてんねんー
恵美はぷっと頬を膨らませた。
ーそれどころか私は浩二さんにベタ惚れやー
社長夫人が浩二に色目を使った時、はよ、行けと彼女が乗ったベンツを、思わず蹴りそうになった。浩二のお嫁さんは私、と恵美自身は決めているのだが、そんな素振りは露ほどもみせたことはない。
生粋の京おんなの彼女は、そういうところは頑固である。
だが一度浩二が手を差し伸べたなら、無条件でその胸へ飛び込もうと思っていた。

同女、と京都人は呼ぶが、恵美はその同志社女子大学、英語英文科の学生だった。
両親は東山にある八坂の五重塔の近くで民宿をしており、ひとり娘の恵美を愛し、可愛がっていたが、いささか手も焼いていた。
小さい時から利発だが、じっとしていることが出来ない、好奇心が旺盛な子で、気が休まる時がなかった。油断をするとすぐ姿が見えなくなってしまう。何度、近所中を走り回って探したか分からない。
成長するにつれ、勝気さの上に、正義感が強くなった。イジメの現場などを見かけると、たとえ相手が年上の大きな男の子でも、平気で突っかかっていく。
向こう見ずな気性のせいで、いつかトラブルに巻き込まれることもあるのではと両親はハラハラして気がやすまる時がない。
同女への通学には愛用のマウンテン・バイク、キャノンデールF二〇〇〇をシティ用の細身タイヤに換えて使っている。髪をなびかせ、颯爽と駆け抜けていく恵美を振り返る者も多い。色白で目鼻立ちのくっきりした彼女は、そのままCMのシーンから飛び出してきたようだ。
自宅から坂を降って東大路に出、北へ上がり、新門前通りを抜けて同女に向かうのが何時ものコースである。
新門前通りに入るとゆっくり走らせ、左右の店のウインドウに眼をそそぐ。
恵美は中学の終わり頃から、骨董や古美術に興味を持ち出した変わった女の子だった。
同女でも『古美研』、古美術研究会のメンバーである。
気になるものを見つけると、わざわざ自転車を止め、丹念に眺める。
浩二に声をかけられたのも、「谷山」のウインドウに飾ってあった京薩摩の香炉に惹かれ、見入っていた時だった。
「中へ入って見ていけば?」
恵美は飛び上がった。香炉に見惚れていて、近づいてきた浩二に全く気が付かなかったのである。
「ごめん、ごめん。驚かすつもりはなかったんや。あんまり、熱心に見てはるもんで。良かったら、どうぞ」
骨董屋には似つかわしくない彫りの深い顔立ちで、柔和な眼が笑っている。
その瞬間、恵美は恋に落ちた。
「あ、イヤ、ちょっと用事が・・・その、が、学校がありますので・・・」
珍しく蚊の鳴くような声で呟くと、まだ何か言いたそうな浩二をあとに、バタバタと自転車を押し、逃げるようにその場を離れた。
ーバカ、バカ、バカ! 恵美の大バカもんー
その日、彼女は自分の無様な応対をずっと責め続け、授業は全く上の空だった。
それからは新門前通りを抜けるときも、目に入るのは「谷山」の店だけである。ゆっくり走らせながら店内をうかがうが、人影らしきものは見えなかった。
ある日のこと、「谷山」のウインドウに英文の張り紙を見つけ、興味を引かれて自転車を止めた。
An English speaking staff wanted
何のためらいもなく、恵美は自転車を降りると、大きなガラス・ドアを開けて入っていった。
ダウンライトに照らされた落ち着いた店内で、何処かエキゾチックな薫りがただよう。
左右の壁には金地に色鮮やかな花鳥や銀地に墨絵山水の屏風が取り付けられている。
その下は造り付けの飾り台が壁に沿って奥へ延び、伊万里や九谷焼の鉢・大皿、青銅の置物、漆の食籠や木彫りの像などが所狭しと置かれていた。
中央には時代物の大きなガラスケースが四ケ、でんと存在感を見せつけている。それぞれのケースには印籠・根付など細やかな装身具や抹茶の茶碗・銘々皿など小物類がぎっしり入っていた。
「いらっしゃいませ」
出迎えたのは伊助だった。戸惑った顔をしている。「谷山」のような店では、若者が入ってくること自体、滅多にない。
「すみません。表の張り紙ですが、もうどなたかお決まりになったのでしょうか」
「ああ、あれ。決まるも何も、あんたが最初や。まあ、こっちへお入り」
気さくな話し方に恵美はほっとした。
店奥の扉をあけて通されたのは意外に広い事務室だった。商品であふれる表のショウ・ルームと変わらない大きさだ。
天井の蛍光灯がやたら多く、室内は明るいが、ガランとしている。
以前は大勢の従業員が立ち働いていたのだろう、事務机が数多く並んでいた。パソコンや英文タイプライター、コピー機などが机上を占めているが、今はあまり使われている気配がない。
片隅には、壁に沿って直角にソファがあり、その前の低い木のテーブルの上には浮世絵が何枚か、無造作に広げられている。
壁際の本や書類などがぎっしり詰まった大きなキャビネットの前で浩二がぽつんと立ったまま、書類に目を通していた。
眼を上げた彼も驚いた顔をしている。
恵美の心臓は高鳴った。
「ぼん、あんな張り紙でも効果あるんですな。こんなべっぴんさんが来てくれはりましたで」
「伊助さん!」
「はい、はい。じゃ、私は店番してます」
伊助が出て行った後、浩二と恵美はしばらく無言で見詰め合った。
「張り紙を・・・」
同時に口に出し、笑って緊張がほぐれる。
書類をキャビネットに戻した浩二は近くの事務机からガラガラと椅子を引っ張り寄せ、
「さあ、どうぞ」恵美に勧めて、自分も近くの椅子に座った。
ふたりの間は一メートルもない。高い動悸の音が伝わるのではないかと、恵美は冷や汗が出た。
「いやあ、まさか貴女が来られるとは思いもよらなくて」
と嬉しそうに見る。
「通りがかりに、英語を話せる求人の張り紙を見たものですから。今はまだ学生なんですが・・・・あれ、ひょっとして、私のことを憶えてられるんですか?」
「憶えているも何も、貴女をこの新門前で知らない者はいませんよ」
「はあ? 私が、です・・か」
「若くて、チャーミングな女性が、かっこいい自転車で、毎日のように新門前をウインドウ・ショッピングする。この陰気臭い通りでどれだけ目立っていたと思うんです。チョッと古い映画やけど、『ティファニーで朝食を』って、知りません?」
「ああ、ヘップバーンの。観たことあります」
「シンモンゼンで自転車を、やなあ、ともっぱらの噂やったんですよ。もっとも言い出したのは私ですが」
浩二は苦笑いする。
彼は映画が大好きで、上映中の作品は勿論、クラシック映画もサイレントを含めて、ビデオやネットで見まくっている。
大学では熱望して芸術学を専攻したのも、別に親の商売を考えた上でのことではない。映画館に入り浸っていても文句を言われないだろうとのいささかセコい気持ちからである。
ヘップバーンだろうが、何だろうが、彼が自分に関心を持っていてくれたことが、恵美にはぞくぞくするほど嬉しい。
「申し遅れました。私、谷山浩二です。よろしく」
出された手を握り、
「山崎恵美です」頭を下げた。

浩二は伊助も部屋に呼んで、店の現状を率直に説明してくれた。
大阪万博のあった1970年は新門前通りが最後に輝いた年だった。
翌年にニクソン・ショックでドルと円との為替相場が固定から変動に移り、長い間三百六十円だったドルの値打ちは落ち始め、八年後には二百円を切る事態になった。ある意味お値打ち感に支えられていたアメリカの日本ブームは終わりを告げる。
戦後は神の紙幣だったグリーンのドル札の神通力が薄れると共にシンモンゼンからはアメリカ人観光客の姿が潮が引くように去っていった。
目覚ましい経済力の復興とともに、日本人の古美術・骨董の愛好家の姿が新門前通りで見受けられるようになってくる。当然それぞれの店舗が取り扱う商品の趣向も変わり出す。
通りの看板から英語が消え、替わって日本語が増えていく。
Antiqueから古美術へ、SINMONZENは新門前ショップ・リーグへである。
もうこれからは日本人相手やで、と新門前の住人たちがうなずく中で、三代目である浩二の父親は、昔馴染みの海外の客筋にこだわったのが裏目に出た。
長年続いてきた得意先は高齢化が進むなかで先細りになり、いいクオリティの商品なら必ず売れると強気に打って出た新しい工芸品の開発も円高の波にあっさり押し流されてしまった。
売り上げは落ち込む一方で、すっかり自信をなくして気弱になった彼は、体調を崩したのを機に早々と引退してしまう。
浩二が跡を継いだ時は、大勢いたスタッフはわずか数名になり、二階のショウルームも閉鎖して、一階のみになっていた。
数日前、最後の一人が故郷に帰り、ついに番頭格の伊助だけになったのである。
「貿易屋」に再び苦難の時代が訪れたのだ。
最も浩二は決して落ち込んではいない。負債はゼロだし、祖父の代の莫大な儲けとは比較にならないが、少なくとも赤字は出したことはない。経営がスリムになった分、動きやすく、事実売り上げは僅かながら伸び出している。
だから、もし貴女さえ良ければ結構やりがいのある職場やと思うけど、と浩二は期待を込めて語りかけた。
恵美は浩二に見惚れていて、ろくに話は聞いていなかった。大好きな古美術に囲まれ、恋する男性の側で働けるなら、他のことはどうでも良かった。
大学だけはきちんと卒業すること、浩二が言った条件はそれだけである。
浩二も伊助も知らなかったが、「谷山」に天女が舞い降りた瞬間だった。

それから二年が経つ。同女に在学中も「谷山」に入り浸り状態だった恵美は、卒業するとフル・パワーで働き始めた。
「谷山」へは外人客は何の気兼ねもなくフレンドリーな様子で入ってくる。ところが日本人、ことに女性の場合は、とても入り難い店だと浩二も伊助も数少ない女性客から判で押したように聞く。
ふたりとも内外を問わず、お客様へのきちんとした応対は自信があるのだが、ドアを開けて入って来て貰わなければどうしようもない。
だが恵美が店頭に出るようになってから若い年代から中高年まで、女性の来客数が右肩上がりに上昇し始めた。
ドアやウインドウのガラス越しに見える彼女の姿が敷居を下げて入りやすくするようだ。動きやすいスラックスにシャツやセーターのシンプルな装いの恵美だが、カラー・コーディネートのセンスが抜群に良く、清楚な安心感がある。
彼女には天性の明るさがあり、古美術が元々好きなので、親身になって説明する。彼女が応対した女性客が、手ぶらで店を出て行くことはほとんどない。
気に入った器があると、両親が経営する民宿で使うからと給料をはたいて、浩二から譲り受ける。彼は原価でいいよと言うのだが、恵美は頑として譲らない。
どうやら母親の料理を手伝い、盛り付けをして楽しんでいるらしい。それがまた宿泊客のあいだでも評判になり、結果としてセールスに結びつく。
浩二や伊助ではとても真似が出来ない。
英文科だっただけに、恵美の英語はネイティブと変わらず流暢だ。
浩二と伊助は正式に英会話は習ったことはなく、あくまで店での耳学問である。お客様との会話だけで英語をマスターしたと豪語する伊助は確かに外人客と喋っていると笑い声が絶えない。ただ調子に乗ると際どいジョークを交えたスラングを連発するから、浩二はひやひやする。
その点、恵美だと何の問題もなく任せられるので、気の張る接待には必ず彼女を連れて行く。

古美術や骨董を取り扱う業者が品物を主に調達するのは、彼らが「会」と呼ぶ交換会、すなわち競り市である。京都だけでも月の四分の一はどこかで開催されているし、近隣の大阪や滋賀での交換会まで入れると、二日に一回はある勘定になる。
売れる品物さえ手に入れることが出来れば、店は自然に繁盛するから、どの会も業者たちの熱気につつまれる。膨大な数の出品をさばくために、一点あたりの競りは十秒もかからない。
一般にもオープンで、いささかのんびりした「アート・オークション」の競りとは違い、業者専門の「会」は気合と度胸の世界だ。瞬時の迷いでチャンスを逃してしまう。
店の仕事に慣れてくると、浩二は恵美を競り市に連れて行くようになった。出席者のほとんどを男性が占める「会」では、彼女は注目の的になったが、まったく物怖じするところがない。
「掃き溜めに鶴やないか」
「見せびらかしに連れてきたんかいな」
顔見知りの新門前の同業者からは嫌みったらしく冷やかされ、浩二は辟易していたが、内心、悪い気はしない。
一緒に顔を出すようになってから、三度目の「会」で、競り待ちの古伊万里の小皿に見惚れている恵美に、「声、出してみるかい?」と浩二はささやいた。自分で競ってみるか、と聞いたのである。
男でさえ、競りでちゃんと声を出せるようになるのは数ヶ月かかるという。
いったん競りが始まると、誰にも相談出来ないし、そのヒマもない。
声を掛けるタイミングが少しでもずれると、「遅い!」と競売人に相手にされないし、小さい声だと、「そこ、聞こえないよ」と注意されるのはいい方で、たいていは無視される。満座の中で恥をかくことになり、しばらく立ち直れない。
いくら恵美でもまさかと浩二は思っていたが、彼女は尻込みすることなく、いいんですか、と目を輝かせた。
三万円以上はいかないように、と浩二は釘をさした。初心者では、雰囲気に呑まれて、つい高値で落としてしまう事があるからだ。
小皿の番がきて、競り台に上がり、競売人が、
「えー、染付けの小皿、一万円!」
と発句(ホック)を付ける。
「一万五千円!」
間髪をいれず、絶妙のタイミングで、恵美の澄んだ良く通る声が会場に響いた。
全員が一斉に声の主の方を見る。側にいる浩二の方がドギマギしていたが、恵美は涼しい顔だった。
「一万五千円! ・・一万五千円!」と競売人は呼びかけたが、気押されしたのか、競りかける者もなく、「はい、谷山」とあっさり、そのまま一万五千円で落ちた。わずか数秒である。
浩二の隣りにいた男がニヤニヤしながら、「鶴のひと声でんな」とつぶやいた。
ほどなく、浩二は競りを全面的に恵美に任せるようになる。

引退してのんびり暮らしている浩二の両親はひと目で恵美を気に入り、恵美ちゃん、恵美ちゃんとわが娘のように可愛がっている。何をぐずぐずしているのかと両親の息子を見る眼が日々非難がましくなり、浩二は鬱陶しくてたまらない。
恵美の両親も穏やかで物静かな浩二が娘と一緒になってくれればと密かに期待しているようだ。
伊助には、はぐらかしておいたが、恵美の気持ちは彼には痛いほど分かっていた。それどころか彼女を求める彼自身の欲望も日々強くなる一方だ。悶々として寝られない夜も多い。
問題は何もない。
実は、それが引っ掛かっている。
彼はいかにも四代目のぼんぼんらしく素直で裏表がなく、同業者からも好かれている。
だが良く言えば慎重、悪く言えば積極性に欠けるところがあった。神経質にゲンをかつぎ、いい商売があった日に身に着けていたものはなかなか変えようとしない。
縁起の悪いことを言われると、たとえ冗談でも、顔色が変わる。
恵美の出現以来、浩二にとって何もかも順調すぎて怖いくらいだ。
来店客は増え、売り上げも伸びている。
新門前では、「谷山」はいい娘(こ)を見つけたなと、うらやましがらない者はいない。
ふたりとも内心では強く惹かれあっているし、双方の両親も賛成するのは間違いない。
あまりにも全てが良い方へ、良い方へと回っている。
何だか気味が悪い。
ここで、彼女との交際に踏み切れば、とんでもないことが起こりそうな気がする。
冷静に考えれば、バカバカしくて、そんな自分自身が嫌になるのだがー。
今も彼は、店内でテキパキと掃除をしている恵美の後ろ姿から目をそらせることが出来ない。
日本人離れしたスラックスの下半身がスラリと伸びている。
彼の視線を感じたのか、恵美は振り向いて、にっこりした。
浩二も微笑んだ。
彼は恵美の笑い顔が特に好きだ。屈託の無い、心からの笑みで、ホレボレする。
浩二は、ふと思った。この笑顔とあの唇が他の男のものになったらどうしよう。
ぞっとした。そんなことは絶対耐えられない。
彼は決心した。

 

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