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2018.05.6 貿易屋、恵美の大冒険-マンハッタンに眠るジャパニーズドールと謎の屏風-第二章

第二章

 マンハッタン南部のグリニッチ・ヴィレッジはアーティストに優しい街である。
 作品の制作活動に相応しいスペースのある仕事場には不自由しない。
 街の外れに近く、大きな窓からたっぷり陽光の入るガランとした天井の高い部屋の中央に日本の屏風が一双、開いて置かれていた。他には三メートルほどの長さがある大きなテーブルと折りたたみ椅子が二脚あるだけである。
 部屋には三人の男がいた。
 ひとりは四十代半ばの小柄な日本人で、使い古したデニムにくたびれたジャケットを着ていた。
 屏風を丹念に調べている。身軽な物腰と滑らかな手先は、職人のそれだ。自信たっぷりに見せかけているが、落ち着きのない目の動きは、生来の気の弱さを隠せない。
 少し離れて、その様子を黙って見詰めているのは、肩まである銀髪を後ろで束ねた、がっしりした身体つきの白人だった。微妙にトーンの違う黒一色でまとめた、タートルネックのシャツ、上着、パンツが、鍛えぬかれた肉体を際立たせている。 
 浅黒く、ガサガサした肌で、目が鋭い。角ばった顎に冷酷そうな薄い唇を、ぎゅっと結んでいる。
 日本人は屏風を見ながらチラチラと男に視線を送った。理由は分からないが、こいつは表情の無い時が一番恐ろしい気がする。
 京都で初めて会った時は、よく冗談を言い、見た目よりずっと気さくな感じの男だったのに、ニューヨークでは、人が変わったように無口だ。
「ドウナンダ?」
 銀髪の男が、イラついたように訊ねた。
「思っていたのより、随分時代がある。つまり、古いということや。もろくなっているから、細心の注意がいる」
「ソンナコトハ、ワカッテイル。デキルノカ、デキナイノカ」
 日本人は焦らすようにゆっくり屏風を見回した。
 何気ないフリをしているが、心中では動揺していた。
 銀髪の男に連れて来られたこの部屋で、無造作に置かれていた屏風をひと目見て、衝撃を受けていたからである。
 見事な洛中洛外図だった。広大な画面いっぱいに、桃山時代の京の街並みと数え切れないほどのミヤコ人が丹念に描き込まれている。
 見覚えがあった。少なくとも屏風を生業(なりわい)にしている者なら誰でも知っている。
 本物なら、東京国立博物館に厳重に保管されているはずだ。
 見た瞬間は、近代の複製だろうと思ったが、近づくと、すぐ分かった。胡粉と金箔は間違いなく江戸初期はある。    
 どうして、重文に指定されている屏風が、ここニューヨークにあるのか?
 銀髪の男はむっつりと待ち構えている。
 とても訊ける空気ではない。
 首を振り、このことは考えないことにした。どうせ自分には関係のないことだ。
「俺なら出来る。けれど、一週間では無理や。三週間はかかる」
 部屋の片隅にメガネをかけ、高価そうなスーツに身を包んだ男が、差し込む光を避けるように立っていた。銀髪の男は彼に目をやり、「Three weeks」(三週間)と指を三本たてた。
 スーツの男が首を縦に振った。
「OK。デハ、スグカカッテクレ」
 職人一筋だった男は、細かい商売の駆け引きは苦手だった。だがこんなチャンスは二度とないだろう。日本人は思い切って吹っかけることにした。
「分った。だが、これだけ時間がかかるんやから、手間代も、せめて二倍貰わんとあわんわ」
 銀髪の男は目を細めた。
「オレタチヲナメルナ。ヒコーキダイモ、ホテルモゼンブ、ハラッテイルンダゾ」
「そ、それは最初からの約束やないか。仕事は別や。アカンかったら、俺は日本へ帰る」
「What’s the problem?」(どうした?)
 たまりかねたように、スーツの男が口を開いた。
 銀髪の男は日本人に目を据えたまま答えた。
「He wants the money double」(倍額欲しがってる)
 スーツの男が二、三歩前へ出た。光りが当たり、顔をしかめる。
 六十過ぎの白人で、怒っているより、当惑しているように見えた。青白い肌で、髪の毛はキッチリと撫で付けられ、身だしなみには、一分の隙もない。書類より重いものは持ちそうも無いタイプだ。
 キョロキョロと視線を動かしていたが、かすかにうなづいた。
 日本人はホッとした。先程から膝の震えが止まらなくなっていたのだ。
 スーツの男はもう一度うなづいて見せ、そそくさと追われるように部屋を出て行った。
 銀髪の男は薄笑いを浮かべながら見送っていたが、日本人に近寄ると肩を抱き寄せた。
 息が臭い。
「ヨカッタナ。ダガ、オレハボスホドアマクナイゾ。パーフェクトナシゴトヲヤレヨ。ワカッテルナ」
 ポンと背中を叩くと、仕事場のカギを放り投げ、スーツの男を追って出て行く。
 日本人は全身の力を抜いた。そのままへたり込みそうになってテーブルに手をつく。
ーヤバイなあー
 彼は京都の表具師だった。
 これまで手がけた屏風の注文は業者からばかりで、個人、それもガイジンと直接、交渉した経験は一度もない。思いがけない成り行きで、こうして生まれて初めて、ニューヨークの土を踏んでいる。タダで観光が出来て、仕事もある、確かにうまい話だったが、なんだか雲行きが怪しい。
 一瞬、このまま帰ってしまおうか、と思ったが、英語が全く分らず、誰一人知り合いもいないこの地で、途方にくれるのは目に見えていた。
 懐は心細いし、帰りの航空券も銀髪の男が抑えている。
 送り出してくれた女房の切実な目つきがよみがえった。不況で、近頃は材料の仕入れ代金さえ底をつきかけている始末だ。
 それにこのまま、尻尾を巻いて日本に逃げ帰れば、この件で口を利いてくれた人間に合わせる顔が無い。
「まさか命まではとらんやろ」 
 自分自身に言い聞かせるようにつぶやき、日本人は腹をくくった。

 新しい世紀に入って数年経ち、、八十代半ばに達していたその人は、遂に半世紀以上を過ごしたアパートメントを出た。
 彼女が向かった先は数ブロック離れた病院である。
 単なる風邪だと思って放置していたのが悪く、専属の医師が呼ばれたときには、入院治療が避けられない状態だった。
 即刻入院の厳命にも頑固に抵抗した彼女だったが、長年にわたって世話をしてきたメイドの必死の説得に、ついに首を縦に振ったのである。
 その病院はニューヨークでも最高級の医療スタッフと施設で知られていた。
 四階の特別室が彼女のために用意され、そのフロアは立ち入り禁止になった。
 ごく限られた人間以外、病院のスタッフでさえ、彼女の部屋には近づけないように手配されていた。
 移動は深夜遅く、特製の車椅子とリムジンを使って、素早く行われた。
 厚いベールをかぶったその人は、管理人にさえ気付かれることなく、住み慣れたアパートメントを離れた。
 動き出した車中で、彼女はベールを少し上げ、遠ざかるビルを見詰める。
 その頬を一筋の涙がこぼれ落ちた。
 無人の十二階では窓から流れ込む月光がミヤコの町並みを照らす。
 キャビネットの中では人形たちが、女主人が帰って来るのをじっと待っている。
 その日はこないとも知らずに。

「恵美、今夜、予定なかったら『奥村』へ食べに行かないか」
 浩二が恵美と二人きりの時に声をかけた。
「えっ、ホンマですか。うわぁ、嬉しいな。全然、OKです」
『奥村』は京懐石風のフランス料理が人気のレストランで、祇園の切通しにある。
 浩二とオーナー・シェフの直樹は年の近いこともあって、仲が良く、接待にも頻繁に利用している。恵美も何回かお供でついて行ったことがあるので、素直によろこんだ。
「オーナー、どんな風の吹き回しです。まさかクビじゃないでしょうね」
「かもな」
 浩二は笑いながら、「じゃ、『匠』の方で、七時に」と言ったので、恵美の鼓動は一気に速くなった。
 『匠』は、やはり祇園の花見小路近くにある、町家を改装した『奥村』の隠れ家的な支店だ。
 小部屋の座敷や少人数用のカウンターが中心で、浩二も重要な接待か、特別な機会しか使ったことがない。
ーひょっとしたら、浩二さんは私に・・・ダメ、恵美、期待しちゃ・・きっとお食事だけなんだから・・・そう、それに決まってるー
 恵美は仕事が手につかなくなった。

「恵美ちゃん、今夜、晩メシ、付き合ってくれへん」
 その日、三人で店を閉める用意をしている時に、伊助が突然言った。
「えっ!」
 驚いて、恵美は手を止めた。
「いやな、女房が孫を見に娘んとこ行っててな、晩は外で食べてきてくれ言うとるんや。独りで食うのもわびしいしな。もし良かったら、ラーメンのうまいとこ、知ってるで」
「あー、すみません。私、先約があるんですよ。ご免なさい」
「そうか。そら、しゃあないな」
 伊助は恵美が、一瞬、浩二に眼をやったのを見逃さなかった。
 こんな場合、普段なら気さくに声をかけてくれる浩二が、身を固くして黙っている。
ーなんや、そういうことかいなー
 伊助は可笑しかった。
 ぼんもやっとその気になってくれたかと嬉しく、邪魔にならぬように、
「お先に」と店を出た。

 四条通りから南へ、建仁寺の北門にいたる祇園のメイン・ストリート、花見小路の中ほどを東へ入った、昔ながらの花街の面影を色濃く残す通りにある、連子格子が粋な町屋風情の建物が『匠』だ。
 通りをはさんだ向かいは、抱えの舞妓が出入りするお茶屋である。
 恵美が到着すると、浩二はすでに一階の小部屋で待っていた。
 畳敷きだが、テーブルの下は切り込んであって、楽に腰掛けられる。
「伊助さん、気、悪くしやはらへんだかしら」
 テーブルを挟み、向き合って座りながら、恵美は言った。
「大丈夫。そんな男やない」
「ほんまに?」
「ああ、けど、何だか、バレバレやったな」
「浩二さん、ひどかったわよ」
 ふたりは同時に笑い出す。
 恵美は浩二を名前で呼びかけたことも気付いていない。
 伊助へ隠し事をしてしまった、それだけでふたりの空気は蜜になってしまっている。
 廊下に足音が聞こえて、店の者が注文でも取りに来たのかと思ったが、何だか騒がしい。
「いいのよ。浩二さんと恵美ちゃんでしょう。かまわないから」
 と話しかける声が聞こえ、
「ごめんなさい」
 いきなり襖が開いて、すらりとしたキモノ姿の美青年が入ってきた。

 日本人は緊張しながら、この三週間掛かりきりだった屏風を、スーツの男と銀髪の男が丹念に調べているのを見詰めていた。
 仕事には自信がある。だがあの奇妙な仕掛けが、果たして彼らが納得する仕上がりになっているか不安だった。
 スーツの男は満足気に頷くと、懐から厚い封筒を取り出し、銀髪の男に渡しながらつぶやいた。
「You should do?」(どうしても?)
「He knows too much」(知りすぎてるからな)
 短く答えて、銀髪の男は日本人の方へ向き直った。
 彼が笑みを浮かべ、手に封筒を持って近づいてくるのを見て、日本人は安堵の思いが全身に満ちた。
「OK。イイシゴトダ。ボスハハッピイ、トイウコトハ、オレモハッピイ。コレガ、ヤクソクノカネダ。エブリボデイ、ハッピイダナ」
 日本人は封筒を開いて、ぎっしり詰まった紙幣を見た。
「カンジョウスルカ?」
 日本人は慌てて手を振り、
「いや、とんでもない。サンキュー、サンキュー・ベリー・マッチ」とふたりに頭を下げた。
 それから彼はスーツの男に近づき、手を差し出した。
「おおきに。有難うございました」
 スーツの男は、一瞬ためらってから、そっと日本人の手を握った。
「Good job. Thank you」(よくやった。有難う)
 足早に立ち去るスーツの男を見送りながら、銀髪の男は日本人の肩に手をかけて言った。
「アシタハ、タクサンカネヲモッテ、ニホンヘカエレルゾ。コンヤハ、ユックリヤスムトイイ」
 日本人はモジモジしている。
「ドウカシタノカ」
「ニューヨークの最後の夜や。白人の女と遊びたい」
 銀髪の男は笑い出した。あまり楽しげに笑うので、日本人も笑い出し、気が楽になった。
ーやっぱり、いいヤツやったんやー
「キンパツトヤリタインダナ。OK。アトデアンナイシテヤル」
「ノー、ノー、外は怖いから出て行きたくない。俺のホテルの部屋に呼びたい」
 日本人は真顔で言った。
「コール・ガールハタカイゾ。千ドルハスル」
「そんなに・・・・でも、一生に一度のことやからな。そのかわりエエ女を頼むで」
「マカシテクレ。スゴイノヲダカセテヤル」
 その言葉はウソではなかった。

「ふたりで『匠』に食べにくるのならどうして僕を誘ってくれないの」
 断りも無く、浩二と恵美の間に座った堀竜介は、すねたようにふたりを交互ににらむ。
ーなんて美しいひとー
 身近に見て、恵美は改めて感嘆する。
 浩二をハンサムだと認める恵美だが、竜介を表現するには美少年という言葉しか思い浮かばない。三十才を超えた男に少年もないものだが。
 白い肌、切れ長の眼、すっと伸びた鼻筋と濡れたような紅い唇、女と見間違うばかりの滑らかな顔の曲線とウエーブのかかった黒髪。
 普段は革か綿のジャケットを小粋に着こなしているが、今日は大島紬にキリッと博多帯を締めており、そのままタカラヅカのステージに上がっても視線を一身に集めそうだ。
 堀さんとは、絶対並んで歩かないぞ、と恵美は思う。
 竜介はインテリア・デザイナーである。
 地元の大学を中退し、オリジナルの着物や帯を製造販売する会社で働いていたのだが、古美術や工芸品が好きで、暇さえあれば新門前をぶらついているうちに、時間に縛られる勤めが嫌になり、必死に引き止めようとする会社を振り切って飛び出してしまった。
 美に執着するだけに、センスは抜群で、お遊びで始めたインテリアの仕事が口コミで広がり、今や美貌のデザイナーとしてカリスマ的な人気がある。
 竜介は「谷山」で時間を過ごすことが多い。はなから彼と浩二は馬が合った。
 浩二は堀さんと言うが、竜介は浩ちゃんと甘えて呼ぶ。
 竜介はゲイである。
 浩二にはまったくその気がないのを知っているので、何の素振りも見せないが、背を向けた時など、熱い眼差しを注ぐのを恵美は気付いている。
 戦後、「谷山」を新門前きっての大店に成長させた二代目源次郎の最大のヒットは「貿易屏風」と呼ばれる四曲の小型屏風の開発であった。
 本来、屏風はジグザグに開いて床に置き、間仕切りや装飾として使う。それが土の壁の家の調度品としてのスタイルだ。日本では壁に掛けるとは夢にも思わない。
 サイズを小型にし、フラットな開いた状態で壁に固定すれば、エキゾチックなスタイルの絵画として、西洋の住居に合うのでは。
 調度品を壁面アートに仕立てる、それはステレオタイプの見方では決して生れない源次郎ならではの発想だった。
 絵柄は海外向けを意識して、昔ながらのジャポニズムを強調した。数人の絵描きと表具師を専属に当たらせなければならないほど、「貿易屏風」は売れに売れた。
 現在この国でホテルやレストランで見かける壁掛け屏風アートのアイデアは逆輸入されたものである。
 ところが八十年代に入ると「貿易屏風」の売り上げは激減する。マンネリ化したデザインが飽きられてきたのと、五分の一以下の値段で中国製のコピー屏風が出回りだしたからだ。
 竜介は「谷山」に出入りするうちに、忘れられかけている「貿易屏風」に眼を付けた。
 日本の住まいもどんどん西洋化が進んでいる。日本人に人気の高い琳派の洗練されたデザインを取り入れ、「京屏風」として売り込めば、潜在的なマーケットは足元にある。
 竜介の狙いは当たった。オーダー・メイドの屏風をテーマにしたインテリアが評判になり、つぎからつぎと依頼が舞い込み始めている。
 屏風の製作は「谷山」が請け負うので、ふたりの関係は持ちつ、持たれつだ。
 ここ『匠』のカウンターのバックを飾っている「京屏風」も浩二の勧めでオーナーの直樹が竜介に任せたものだ。出来栄えにすっかり惚れ込んだ彼は、シーズンごとに取り替えようとすでに発注している。
「どうしてここが?」
 浩二が尋ねた。
「花見小路をたまたま通りかかったら、恵美が『匠』に入るのが見えたんだけど」と彼女を見て、
「あんたがひとりでこんなとこ、来るわけないから、ピンときたのさ」
 竜介はじろじろとふたりを見比べた。
「なに、お忍びの理由は? は、はーん、分った。浩ちゃん、恵美にプロポーズするつもりでしょう」
 ニヤニヤしながらとんでもないことを口にした。
ーあ~ぁ、これで今夜はパァねー
 もう、がっくりである。
 ところが意外なことに、浩二はニコニコしながら、
「ちょうどいい。堀さんにも聞いて貰おう。実は彼女に結婚を前提にお付き合いしてくれないかとお願いしようと思ってたんや」とあっさり答えた。
 思いがけない展開に、恵美は茫然とした。普通ならドラマチックに盛り上がるはずだが、喜びよりも、ああ、やっぱり、そうやったんや、と安心感の方が強かった。
 竜介は大きなショックを受けていた。
 冗談の積もりで言ったので、まさか、あっさり認められるとは思いもよらなかったのだ。
 かなわぬ恋だと覚悟はしていたけれど、改めて自分がどれほど深く浩二を求めていたのか思い知らされた。
 彼はこみ上げてくる動揺を悟られまいと必死で抑えていた。色白の竜介の顔が、より青白くなった。
「でしょう! そんな気がしたのよ。恵美、良かったね。こんないい男、めったにいないよ。ほんと、お似合いのカップルだわ」
 竜介は彼女に微笑んだが、細めた眼は笑っていない。
 恵美はぞくっとしたが、気にしないことにした。
「今夜は僕におごらせて。取り合えずシャンペンで乾杯しよう!」
 大変な夜になりそうだった。

 日本人は目を丸くした。
 ドアを開けると、立っていたのはハリウッド映画から抜け出てきたようなブロンド美人である。
ーホ、ホンマや、どえらいベッピンの外人さんや。しかも若いー
 彼は銀髪の男が請合った「スゴイ」は信じていなかった。せいぜい、「さぞかし昔はー」、程度の年増女が来るだろうと思い込んでいたのである。
 入ってきたブロンドの女は紅い唇から白い歯をのぞかせ、握手をしながらセクシーな低い声で「Hello」と挨拶した。すっかり気押されしてしまっている彼は、「ハロー」と返した後、どうすればいいのか分らず、女に見惚れたまま、立ちすくんでいる。
 所在無げに部屋を見回していた女は、テーブルの上に置かれたワインのボトルと二つのグラスを見つけ、にっこり笑うとブロンドの頭をそちらへ傾けて日本人の顔を見た。
「あ、そうや。ワインがあったんや。どうぞ、どうぞ、プリーズ」
 きっかけが出来て、ホッとした彼はテーブルに近寄り、あたふたとグラスにワインを注いだ。
 銀髪の男が高級娼婦を呼ぶなら、飲み物ぐらいはと強調したので、ホテル近くのリッカー・ストアで買っておいたのである。
 ワインのグラスを貰った女はベッドに腰を掛け、男を見て、ここへ来てよとばかり、その横をポン、ポンと軽くたたいた。
 グラスをあわせ、一口飲むと、隣に座った日本人に、女は顔を寄せて柔らかい唇を重ねてきた。
 甘いむせ返るような香りに包まれた長いキスが終わると、男は思わずふうっーと長い息をつき、女がクッ、クッと笑った。
 日本人の男がむくむくと動き出した。
「えーっと、今夜はどれぐらい居れるのかな。ハウ・ロング・ステイ・ツナイト?」
 最初は首をかしげていた女も、男がベッド、続いて時計と指差すと、ワカッタとうなづいた。
「All night through OK」
 艶然と微笑む。
「オール・ナイト? うわぁ、これは大変な夜になりそうやで」

『匠』を出ると、浩二は恵美を送っていくからと竜介に告げた。
 竜介は恵美をハグし、次いで浩二を抱きしめたが、なかなか離そうとしない。
「ボ、僕は、嬉しいんですよ、浩ちゃん。ホントです。ウソじゃないよ」
 感極まったような声で言う。
「分かった、分かった。さ、もういいから」
 向かいのお茶屋に帰ってきた舞妓が、可笑しそうに横目で見る。
 ふらふらと立ち去っていく竜介を振り返りながら、
「送っていかなくていいの、堀さん」
 と心配そうな恵美に、
「大丈夫だよ。あいつ、あれで芯はしっかりしてるから」
 花見小路の突き当たりにある建仁寺の境内へ、ふたりは示し合わせたように入って行く。
 ここを通り抜ければ八坂の塔の道に出るのだ。
 この時間、広大な境内は人っ子ひとりいないが、ふたりにとっては我が家の庭のようなもので、勝手は良く知っている。夜も遅く、若葉の匂いが濃厚にただよっていた。
 浩二は立ち止まって、恵美に向かい合った。
「先ほどの返事、君の口から聞いてないよ」
「百万回聞かれても、イエスです」
 ふたりは自然に唇を合わせた。恵美の体の奥底から、この日、初めて狂おしいほどの歓びが湧き上がり、全身を侵していった。
ーこの人とは絶対離れない。生きている限りー

 日本人は裸のまま、ベッドに仰向けになってニヤニヤしていた。
ー京都へ帰ったら、おれのテクニックで乱れまくったブロンド美人の話は真っ先にあの小生意気な恵美に聞かせてやらなアカンな。うまくいけば、デートに誘えるかもしれんー
 気が付くとその彼女が豊満な乳房を押し付け、艶めかしい眼で覗き込み、指を彼の乳首のまわりに這わせている。
「おねだりかいな、ヘ、ヘ、ヘ。よっぽどヨカッたんやな。うーん、ちょっと待ちいな。若いんやないから、そんな急には無理やで。ウエイト、ウエイトや」
 女は分かったというように、うなずくと、ベッドを飛び出して自分のバッグをかき回していたが、白い錠剤を持って戻ってきた。
「何や、それ」
 女はそれを飲む真似をすると、手をひじからぐい、ぐいと何度も突き上げて見せる。
「あ、あ、そうゆうことかいな。けど、大丈夫か、その薬」
 女は「OK.OK」と何度もうなづき、自分の舌にその錠剤をのせ、男に突き出した。
「口移しでっか。ハイ、ハイ」
 男は舌をからませながら、錠剤を飲み込んだ。
 女は身を起こし、親指を立て、にっこりする。
 男も同じようにして、笑い返した。
 女はすっと立ち上がり、バス・ルームへ消えた。ガラガラと口をゆすぐ音が聞こえる。
 流れる水音が止まっても、なかなか出てくる気配が無い。
「おーい」
 男は呼びかけた。
「何をしてるんや」
 しばらくしてバス・ルームの入り口に現れた彼女は突っ立ったまま、彼を見詰めている。
 その手に小さな注射器があるのに、男は気が付いた。
(それは何や)と訊ねた声が、どこか遠くで聞こえるので、男はぎょっとした。身を起こそうとするが、体が鉛のように動かない。
 ゆっくり近づいてくる彼女の表情は仮面のように動かない。
「ゴメンナサイネ」
 日本人は理解した。結局彼は京都へは生きて帰れないのだ。
 ブロンドの美女は注射器を構えた。
 ハダカの男は声にならない悲鳴を上げた。

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