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貿易屋、恵美の大冒険-マンハッタンに眠るジャパニーズドールと謎の屏風-第三章-

第三章

 夏には、まだ間があるというのに、ニューヨーク市警のケリガン刑事のいかつい顔はすでに汗で濡れていた。
 高級とはいえないが、安宿でもないホテルの入り口を抜けると、さして広くもないロビーで、フロントの男がうんざりしたような顔を向けた。
 警察関係者と分かったらしく、指で上を指し、「206です」と無愛想に言う。
 うなづいたケリガンはエレベーターに向かいかけたが、背にフロントの男の視線を感じ、百キロ近い体を揺らすことなく、軽快な足取りで階段を上がっていった。二階に着くと、汗を拭い、膝に手をついて息を整える。
 ゲップとともに食ったばかりのタコスのサルサが喉元にこみ上げ、「ファック」と思わず顔をしかめた。
 206号室に入ると同僚のジョーンズ刑事と鑑識課がふたり、それに部屋の片隅にきちっとした身なりの若い男がいた。
 頭髪もきれいにカットして整えられ、汗ひとつかかず、絵に描いたようなFBIである。いかにもエリート・コースまっしぐらで、苦労とは縁のなさそうな顔立ちをしていた。
「遅れてすまん」
 ジョーンズに近づいたケリガンは、眼の動きで、やつが何故ここにいるんだ、と訊いた。ジョーンズは唇をへの字に曲げて、知るもんか、と答える。
「死体はもう運び出したぞ」
「ああ、表で見た。中国人か」
「いや、日本人だ」
 ジョーンズはパスポートを見ながら、
「テツオ ニシムラ 四十六才 住まいは日本の京都だ。五月六日にケネディ空港に着いて、すぐここにチェック・インしている。今日帰国の予定だったらしい」
「三週間以上居たのか。何をしてたんだ」
「一応観光と言って昼間はずっと外出していたようだ。ざっと所持品を調べたが、ビジネスマンじゃないのは確かだ」
「何も着けてなかったようだが」
「ああ、ベッドの上で素っ裸でな」
 ジョーンズはじろじろとケリガンの突き出した腹を見た。
「俺達と変わらぬ年だが、スリムだったぞ。お前もそろそろ食い物のことを考えたらどうだ」
「俺は生の魚とライスなんか死んだって食わねえぞ」
「スシはうまいですよ」
 FBIの若者が声を掛けたが、ふたりは返事もしなかった。
「病死とは考えてないんだな」
 ジョーンズはベッドに近寄った。
「このシーツを見ろよ。どう見ても一戦、それも派手にやらかした後だぜ」
 鑑識のひとりが、
「ブロンドの髪の毛が二本、そことここに」
 とベッドの上を指した。
「ワイン・グラスはきれいに拭いてあります」
 ケリガンはテーブルの上のワイン・ボトルとグラスを見た。
「そこそこ飲んでるな。所持金はすっからかんか」
 ジョーンズは首を縦に振った。
「おれは一服盛られたかー」
 と注射の真似をして、
「やられたんだと思うよ。右腕に注射の跡があった」
「検死と鑑識の結果待ちか。ジョーンズ、フロントの男とホテルの従業員をあたってくれるか」
 ジョーンズが出て行くと、ケリガンはやっと若い男に向き合った。
「FBIのマコーミックです」
 と手を差し出す。
 ケリガンは握手しながら、
「ケリガンだ。そっちが首を突っ込んでくるようなヤマかね」
 不機嫌そうに言った。
 マコーミックはにっこりした。
「最初にお断りしておきますが、NYPDの邪魔をする気はありません。お分かりになったことを聞かせていただければ有難いんです」
「それだけなら報告書を読めばすむことだろう」
「紙切れ一枚より、ベテラン刑事のお話の方がずっと役に立ちますからね」
 うめえこと、くすぐりやがるな、とケリガンは思った。
「せめて何に関心があるのか言ってくれれば、お互いプラスじゃないかね」
 マコーミックは鑑識係にさりげなく眼を走らせた。
「微妙な問題がありましてね。こうしましょう。結果が上ったら、タコスでも食いませんか」
 おい、おい、俺はそんなにタコス臭をバラまいているのか、とケリガンはげんなりした。
「こんな街に三週間とはな。案外マツイのプレーを観に来たファンじゃないか」
 マコーミックはベッドを見て、
「自分のバットを振り回す方が良かったみたいですよ」
 すました顔で言う。
 ケリガンはニヤリとした。彼はこの若者が気に入った。
「じゃあ」
 マコーミックは名刺を渡し、
「連絡、待ってます」
 戸口に向かいながら、「スシでもいいですよ」と片目をつぶった。

 部屋は薄暗かった。
 ブロンドの女はそっと忍び寄った。手に注射器を握っている。
 ベッドでは銀髪の男が穏やかな寝息を立てていた。
 しばらく様子をうかがっていた女は、注射器を持った手をそろそろと振り上げた。
 とたんに跳ね起きた男はその手首を掴み、女をベッドに押さえつけた。
「あぶねえじゃねえか」
 女は唇をゆがめ、薄笑いを浮かべる。
「フン、針はついてないわよ。バカ」
「遅かったな」
 男はやっと手を放した。
「うまくいったのか」
「ああ」女も身を起こし、「チョッと気の毒だったかな。でもこんなイイ女抱けたんだからね」
「寝てやったのか」
「でないと気を許さないよ。あいつ、ペンライト並みなんだ。おかげでこっちはめちゃめちゃ不完全燃焼よ」
 男は大笑いした。
「金は?」
「マットの下に隠していた。見る?」
「お前の仕事だ。取っとけばいい。ボスも了解している」
 女は手を伸ばして男の股間をまさぐり、握り締める。
「これこそホンモノよ」
 上目遣いで、うっとりしたようにささやく。
 男はつくづくと女を眺めた。
「お前、意外にブロンドが似合うな」
「こんなもの!」
 女は金髪のかつらをかなぐり捨てた。ショート・カットの赤毛の頭が現われ、女は男の股間に顔を埋める。
 銀髪の男はニヤニヤしながら、ゆれる赤毛を愛撫した。

「表具師の西村さんの奥さんや。ご主人が死んだって、ニューヨークで」
 浩二は電話を切ると言った。
 ただならぬ気配の応答を不安げに見詰めていた伊助と恵美は驚きの声を上げる。
「ニューヨークでって何でやろ。観光旅行の途中でっか」
 伊助が尋ねた。
 浩二は難しい顔で、首をひねった。
「いや、観光ではなさそうや。現地のホテルでずっと三週間もステイしていた。それもひとりでや。チェック・アウト当日、出て来ないので部屋に入るとベッドで死んでいたらしい」
「そやけど、あいつ、英語ぜんぜん出来まへんで。東南アジアは、よう遊びに行っとったから、まだ土地感あるやろけど、初めてのアメリカでひとりは絶対無理。誰か世話していたやつがいますな」
「それで奥さんはなんて?」
 と恵美は気遣った。
「まあ、気丈に振舞っているけど、これからが大変だ。すぐニューヨークへ飛ばなきゃならないし」
 浩二はちょっと声を落として、
「現地の大使館からの連絡では、どうも不審死みたいなんや。とにかく自分は彼女と会って、今後のことを相談してくる」
「ぼん、こりやぁ、『谷山』から誰かついて行って上げた方がええんとちゃいますか。あの奥さんひとりではー」
「分かってる。明後日の交換会の大会さえなければなあ。伊助さん、すまんが・・・」
「私が行きます。ニューヨークならゼミ旅行で行ってますし」
 恵美が声を上げた。
「こんな時は女同士の方が奥さんも安心されるのでは」
「恵美、ほんまにいいのか。行ってくれるか」
 浩二がアッサリ即答し、伊助のほっとした表情を見れば、ふたりが誰が適任かと考えていたのは明らかだった。
 アート・ビジネスの商談や卑猥なジョークでは何不自由なく英語を操る伊助だが、西村夫人と同行し、現地で司法関係者とのやり取りを任せるには、いささか心もとない。
 『匠』以来、浩二も伊助も、恵美に妙に遠慮するところがある。ふたりの気遣いは嬉しいが、箱入り娘扱いはゴメンである。

「谷山」に出入りする表具師は数人いるが、親子二代にわたって深く関わってきたのは「表具師 西村」のみである。
 新作屏風なら「谷山」と新門前通りで一も二もなく言われるようになったのは、戦後の厳しい時代、先代、西村の協力が大きかったと祖父から浩二は聞かされたことがある。
ー結構ワシも無茶苦茶な要求出したもんやけどな、あいつはへえ、へえ、笑いながら受けて、何とかしてきよった。そんなん、出けしまへんって愛想の無い返事はいっぺんも聞いた事がない。ホンマあれこそ職人のかがみやでー 
 ふたりの努力の成果は貿易屏風となって実を結び、「谷山」の売り上げを大きく押し上げたが、
「表具師 西村」もそれなりに潤っていたはずである。
 それに比べて跡を継いだ二代目の哲男は気の毒だったなと浩二は思う。
 貿易屏風の需要が右肩下がりに落ち始めたのだ。せっかく親にも引けを取らない技量がありながら、宝の持ち腐れのような状態だった。
別に西村は、「谷山」専属のお抱え表具師ではない。どの業者の仕事を請けてもいいのだが、あまりにも両者の緊密な結びつきが知れ渡っているため、敬遠されがちなのである。
 「谷山」からの注文の減少は、そのまま西村の懐に響いた。
 先日も先々京屏風の路線は見込みがある、頑張ろうと元気付けたのだが、もうそれまで持ちまへんわ、と哲男は自嘲気味だった。
ーニューヨークまで行くくらいなら、どうしてひと言相談してくれなかったんや。親の代からの付き合いなのに。あいつがおらんようになったら、ウチも困る・・・ー
 浩二はハッとした。頭の中で、日本とアメリカの時差を素早く計算する。
 西村が死んだ日は、恵美とキスを交わしたあとだ。
 ひょっとしたら、これがとんでもないことの始まりでは・・・。
 熱心に相談している恵美と伊助を横目でうかがった。ふたりには何の陰も感じられない。 
 浩二は目をつぶり、ひそかに深呼吸した。つまらないことを思い煩う自分に腹が立つ。
ーしっかりしろ! そんなことでは、恵美と一緒になれないぞー

 FBIのエージェントとNYPDの刑事はタコスやスシではなく、結局セントラル・パーク近くにあるブルックリン・ダイナーを選んだ。
「マコーミック」
 ケリガンが呼びかけると、
「ボブと呼んで下さい」
「おれもジョーで構わないが、どっちかと言うとケリガンの響きの方が好きなんでね」
「OK、ケリガン」
 若者は早速ハンバーガーに取り掛かった。
 ケリガンもひと口かぶりつき、もぐもぐやっていたが、ハンバーガーを持ったままの手でマコーミックを指し、、
「君はニューヨーク支局でACTのメンバーらしいな。アート・クライム・チーム(美術犯罪班)だろ。カッコいいじゃないか」
 マコーミックは首を振った。
「どうですかね。たまたまニューヨーク大学の美術研究会にいたもんで。チームと言っても僕ひとりですよ。死体も銃撃戦もないクライムなんて、ほとんど趣味的ワールドじゃないかって、バカにされていますからね」
 ケリガンはニヤニヤし、コークを口に流し込んだ。
 マコーミックはぶすっとして、
「先日も出勤したら、僕のデスクだけ花が活けてありました」
 ケリガンは吹き出して、激しくむせ返った。
「大丈夫ですか。こんなとこでぶっ倒れないで下さいよ」
「すまん。すまん」
 とハンカチで顔を拭いながら、
「今度ばかりはひとり、ホトケが出たじゃないか。良かったなあ、とも言えないけどな」
 こらえきれずに、またクッ、クッと笑う。 
 マコーミックも仕方なく苦笑した。
「ところでー」とケリガンは真顔に戻り、「報告書は見たんだな。特に付け加えることも無いが、部屋に呼んだブロンドの仕業に違いないだろう。だが動機が分からん。どう見ても、あの日本人の風采では俺たちとどっこい、どっこいの暮らしだ。何か急に大金でも入ったのなら別だが」
「残された日本の家族は?」
「女房がこっちへ向かってる。大使館の話では、やつは職人だそうだ」
「職人? 何の?」
「スクリーンのペーパー・ハンガーとかマウンターとか言っていたが、見当もつかん」
 マコーミックの目が光り、黙って考え込んだ。
 ケリガンはかまわず話し続ける。
「大使館員が若造でね、日本人のくせに、ヤツ自身が良く分かっていないんだ。尋ねても、しどろもどろの説明で、俺は途中でサジを投げたよ」
 マコーミックは顔を上げた。
「スクリーンとはビョウブのことです」
「ビョウブ?」
「正確に言えば、フォールデイング・スクリーンと呼びます。木の枠組みに紙をはった、折りたたみ式の調度品で、表面に絵が描かれていることが多いですね。床に置いて使用するものですが、我々アメリカ人は壁に掛けてアートとして楽しんでいます」
 ケリガンは人差し指を立てると、
「分かった。映画でよく日本趣味の飾りとして出てくるあれだろ。さすがACTだな。で、マウンターはその職人というわけか」
「ヒョウグシと言います。ビョウブを作ったり、修理したりするのが仕事です」
「なるほど。ではそのヒョウグシの日本人、ニシムラはこのニューヨークで何をしていたのだ?」
 マコーミックは肩をすくめた。
「さあね、どこかでビョウブでもいじっていた形跡はなかったですか?」
「今のところは何の手がかりもない。所持品の中に、木製のペーパー・ナイフのようなものがあったが、それだけだ。ホテルのフロントの話では、ニシムラは片言の英語しか話せない」
「じゃ、誰がホテルの予約を?」
「チェック・イン前に電話があった。その男は普通に英語をしゃべっていた」
「三週間以上ステイしていたんでしょう。支払いは?」
「ニシムラが現金で、一週間分づつ先払いしていた。彼は朝出かけると、夕方まで帰らず、夜はいっさい外出しなかった。あのブロンドが最初で、最後の訪問者だ」
「そうなんですか」
 ケリガンは、ぐっと身を乗り出した。
「ずっと気になっていたんだが、ボブはどうしてあの場にいたのだ。ジョーンズは到着したら君がすぐ入ってきたと言っていたぞ」
 マコーミックはしばらく窓の外を見ていた。
「その前にひとつだけ聞かせて下さい。ブロンドの女性のことはどの辺りまで?カツラだったんですね」
「フロントは当てにならんので、防犯カメラの記録に頼るしかなかったが、君も知ってのとおり最新の一流ホテルじゃないからな。それでも金髪でサングラスをかけた女が午後八時過ぎに206に入り、同九時四十五分に退出するのは確認出来た。死亡時刻は九時頃だから、この女が現場にいたのは間違いない。報告書に書いてあるとおりだ」
 マコーミックは添付されているあまり鮮明でない写真を指ではじいた。
「これがベストなやつですか」
「残念ながらな。だが、どうも気に食わぬことがある。普通犯罪者は意識してカメラを避けようとするが、この女はまったく気にしていない。そのくせ顔の特徴が出にくい側からうまく撮らせている。カメラに近くなると、さりげなく髪をふったりしてな。どうやらそういう状況に慣れているみたいだ。まるでー」
「アクトレス(女優)のように。素晴らしい! ケリガン」
 マコーミックは懐から一枚の写真を取り出し、ケリガンの前に置いた。ブラウンの髪の美しい女性がカメラに微笑みかけている。
 ケリガンは写真を取り上げ、「?」とマコーミックを見た。
「その女です、206にいたのは」

 ボーイング777は雲海の上をすべるようにニューヨークへ向かって飛んでいる。
 窓にすがり付くようにして見惚れていた西村哲男の妻、房江は恵美を振り返って、
「キレイやねえ、見て、山崎さん」
 と話しかけた。
「昔はこんな夢のような雲の上の景色、いくらお金を積んでも見られへんだやろに、今はこうして眺めていられるなんて有難い世の中やね」
「そうですね」
 房江は改めて姿勢を正した。少々時代遅れの、精一杯の正装が痛々しい。
「私、本当にあんたがついて来てくれはって嬉しかった。ウチの人が外国で、あんなややこしいことになってもうて。ひとりやったら、どうにもならへんだわ。ホンマに助かります。おおきに、おおきに。有難うございます」
 深く頭を下げた。
「そんなこと、おっしゃらないで下さい。そばに居るだけで、何もしていないのに」
 房江は激しく首を振った。
「なに言うてますねん。代わりに谷山さんや伊助のオッサンやったら、気ぃつこて、私、ダウンしてるわ」
 こんな時に悪いと思ったが、恵美は思わず笑ってしまった。
 房江は恵美の手を取り、
「山崎さん、あんたにやったら、何でも正直に言える。今は胸にこんな大きな穴、開いてしもたような感じやねん。せやけど、メソメソしてもあのひとが生き返るわけやない。賑やかに送ったげんと、なあ」
 恵美は黙ってうなづいた。
 哲男は「谷山」の店に毎週のように顔を出していたが、まだ新人だった頃の恵美はよく話し相手につかまった。
 彼女の質問には丁寧に答えてくれるのだが、最後には必ず女遊びの自慢話になる。一年も経つと要領を覚えて、適当にあしらえるようになったが、最初は伊助か浩二が助け舟を出してくれるまで、同じ話ばかり、えんえんと聞かされたものだ。
 伊助が、あいつは恵美ちゃんが好きなんやで、とニヤニヤしていたが。
「ホンマにどうしてニューヨークなんかにひとりで行かはったんでしょうね」
 房江は、しばらく黙ったまま窓外に目をやっていたが、握る手に力を込めて振り向いた。
「こうなったらいづれバレるやろし、言うてしまうけど、実は武田さんが、仕事まわしてくれたらしいねん。お店には言うたらアカンて、あの人、きつう念押して行かはったんや」
「武田さん? ・・琵琶湖の武田美術館の?」
 房江はぼんやりと、また窓の外を見た。
「そんな遠い外国の仕事なんか止めとき言うたんやけどなあ」
ーヤッパリ、観光やなかったのねー
 武田なら、二、三度、「会」で見かけたことがある。坊主頭が目立つ、大声で品のない喋り方をする男だった。
 彼の美術館は、業者仲間ではほとんど問題にされていない。刀剣類はまだマシだが、そのほかはガラクタばっかりや、とのもっぱらの噂である。
ー屏風には縁がなさそうやけどー
 恵美は首をかしげた。

「モニカ・チェースです。ハリウッドの女優くずれですよ」
 マコーミックは言った。
「どうカメラに向かえば自分が目立つか、目立たないか、お手の物でしょう」
「聞いたことがない名前だぞ」
「女優としては全ての出演映画のセリフを集めても一ページ分もないですよ。本業よりも美人局がらみの恐喝で有名で、LAにおられなくなって、こっちに流れてきたようです。で、この女が今熱を上げてるのがこいつです」
 マコーミックはもう一枚、写真を取り出してモニカの隣りに置いた。髪を短く刈り上げた、目付きの鋭い軍服姿の男である。
「これはキケンな男です。元マリーンで海兵隊内部でも要注意人物でした。オキナワのキャンプで地元の娘のレイプ未遂事件を起こし、大問題になるはずが、まんまと切り抜けています。他にも基地内でコイツの仕業じゃないかと疑われる不審死が二件あるんです。でも証拠がなく、結局自殺として処理されています。除隊して東京や京都でクラブの用心棒をやっていましたが、地下組織の連中とつながりが出来て、今じゃ結構いい顔のようです。日本語も達者です。巧みなナイフの使い手で、非常にずる賢い。カール・ライナーといいます」
「で、このモニカがどうして206にいたブロンドと分かったんだ?」
「もともと、僕はカールのホテルを張ってたんですがね、モニカがやつの部屋に出入りするようになりました。彼女、普段は赤毛でショート・カットですよ」
「よく、くるくる変われるもんだな」
 ケリガンは写真のモニカを見て言った。
「変装はプロですからね。カールも銀髪で、ふたりでいると雰囲気があるのは確かです。事件の日、モニカはあのブロンド姿で出てきました。最初は分からなかったんですが、歩き方に特徴があるので気付きました。興味を引かれて、あの日はモニカをつけることにしたんです」
「それで日本人の泊まっていたホテルにたどり着いたのか」
「しばらく様子は見てたんですが、腹が減ってきたのでメシを食いに行きました。なんせACTは僕ひとりですからね」
 マコーミックは首を振った。
「帰ってきたら全て終わっていたと言うわけか。君の情報は助かるが、証拠にはならないからな。ふたりは今何処に泊まっている」
「ブロードウエイ三十二番のラディソン・ホテルです」
 ケリガンはしばらくマコーミックをうかがっていたが、ぽつりと言った。
「カールのことを話す気にはならないかね」
マコーミックは悩ましげに、また窓の外を見ていたが、立ち上がり、
「セントラル・パークまで散歩しませんか」と誘った。
「えーっ!」
 ケリガンはうんざりした顔をしたが、下っ腹へのマコーミックのからかうような視線に気が付き、
「それ以上言ったらおれは帰るからな」
 不承不承腰を上げた。

 グリニッチ・ヴィレッジの陽光の入る部屋では屏風がカートン・ボックスでしっかり梱包され、部屋の中央に置かれていた。
 カールとモニカはユナイテッド・エクスプレスのユニーフォームを着たふたりの男が書類をチェックしているのを見詰めている。                                     
 赤毛と銀髪かい、ケバイ奴らだなあ、とユニフォームの男は思ったが、そんな素振りは毛ほども見せず、サインをして、にっこりしながらカールに渡した。
「OKです。問題なければフライトは明日です。明後日には日本に届いてますよ」
 カールはうなずいた。
 ユニフォームを着た男たちは「じゃあ」と会釈をして、慎重に荷物を扱いながら出て行った。
「私達は何時行くのさ」
 モニカはがらんとした部屋を見回した。
「一週間後だ」
「もう飽きたよ、ここも。早く日本へ行こうよ」
「辛抱しろ」
 モニカは不服そうに口元をゆがめたが、すぐよだれのたれそうな顔に変わって、カールを見た。
「ね、何もない部屋って、そそらない」
「お前がそそられないときってあるのか」
 モニカは男のパンツのベルトをゆるめ、首に腕を巻きつけた。カールは腰から女をグイと抱え上げ、そのまま壁際まで歩いて行って押し付ける。
「アンタって最高!」
 赤毛の女はあえいだ。

 ダイナーを出て、セントラル・パーク・サウス通りを横切って公園に入り、テラス・ドライヴに近づく頃にはケリガンはすっかり汗まみれで、腹を立てていた。
 涼しい顔をしたマコーミックは立ち止まり、道沿いの木立の中に建つ立派なヒゲの男の銅像を見上げた。
「サミュエル・モールスです。モールス信号のことは誰でも知ってますが、彼は画家としても一流でした」
「ボブ、勘弁してくれよ。こんな銅のかたまりを見るために来たのか」
 マコーミックは五番街の方を見た。
「あそこに十二階建てのビルが見えますね。有名なアパートメントですが、ご存知ですか」
 ケリガンはフンと鼻を鳴らした。
「天国に一番近いところとか何とか言ってる、ド金持ちの住まいだろ。俺は金で天国に行けるとは思わないね」
 マコーミックはニヤリとした。
「天国に近いってのは案外、居住者の年齢のことかも。ところで、あそこのトップ・フロア、十二階すべてをひとりの女性が持っているんですよ」
「ふーん」
 さすがに唸った。
「よっぽど大家族なのか」
 マコーミックは笑った。
「たったひとりで住んでます、いや、いた、かな」
「死んだのか」
「いえ、今はここから数ブロック離れた病院に滞在しています。体調が悪いのかもしれません。八十はとっくに超えてられますよ。病院の名前は申し訳ないが、言えません。見当はつくでしょうが。何れにせよ、病院は彼女の存在は完全に否定していますがね」
「とにかく座ろうや」
 ケリガンが言い、
「あのベンチで」と歩いていった。
「ジュリエット・クレーンが彼女の名前です」
 腰を下ろすなり、マコーミックが言った。
「そうかね」
「クレーンと聞いて何を思い出します?」
「いや、別に・・・ちょっと待て。二十世紀始め頃にロックフェラーと並んでアメリカきっての大金持ちと言われた上院議員のクレーンか?」
「彼が残した巨万の富の女相続人がジュリエットです」
 ケリガンは低く口笛を鳴らした。
「彼女は結婚していないのか」
「二十歳の時に父親の事業仲間の息子と結婚しましたが、一年で別れています。父親を十代で、母親を三十代でと若くして亡くしたせいかもしれませんが、離婚後、あのアパートメントにずっと閉じこもったままでした」
「まさか。半世紀以上だぞ」
「知られている限りは一歩も外へは出ていません。ちょっと信じられない話ですが」
 ケリガンは呆れたように首を振って、改めてアパートメントを見上げた。

 始まりはFBIのワシントン支局にかかってきた一本のタレコミ電話である。
 市内のアート・ギャラリーに展示してあるドガのパステル画はもともとクレーン家のコレクションとして知られているもので、こんなところにあるはずがない、盗難品ではないかと言うのだった。
 資産家の持つ美術品の売買は頻繁に、それも秘密裏に行なわれているし、クレーン家から盗難届けも出ていないが、一応確認をということで、ニューヨーク支局ACTのマコーミックまで案件として上がってきた。
 彼自身はその時までクレーン家の子孫が五番街に住んでいることさえ知らなかった。軽い気持ちでかけた最初の電話に応対したのはメイドのミランダ・クロスで、主人は留守だと言う。
 二日後、マット・ウインストンと名乗る弁護士が用件を問い合わせてきた。パステル画の件を尋ねると、弁護士は別に驚く様子もなく、調べて返事をすると答えて切った。
 翌日、電話をしてきた弁護士は、ドガの絵は、以前ミス・ジュリエット・クレーンにより、さる人にプレゼントされたものである、したがってもう当家には関係ないことだと返答したので、マコーミックは仰天した。
 まるで、こんな些細なことで煩わしいことには巻き込まれたくない、放っておいてくれと言わんばかりの口ぶりだった。
ーでも大変高価な絵ですよー
ーそれが?ー
ー普通は気になるものでしょうー
ーそりゃ、人によるだろうー
 せめて本人に話を聞けないかと食い下がったが、ウインストンは気を悪くしたようで、私の言葉は彼女の言葉だと決め付けられてしまった。
 ジュリエット・クレーンに対する猛烈な好奇心が沸き起こったのはその瞬間である。
 念のためにワシントンのギャラリーにドガの絵の購入先を問い合わせたが、見知らぬ男が持ち込んだものとしか分からなかった。銀髪で、目つきは鋭かったが、物腰は柔らかく、不審な点は無かったと言う。
 世に知られたアーティストの作品を国際的なオークション・ハウスで競売にかけず、わざわざギャラリーに直接持ち込むのは、所有者が密かに、それも現金で処分したいためである。
 買い取る側としてはいかがわしいモノや盗品を掴まされるリスクはあるが、一方、相手の足元に付け込んで買い叩き、信じられないような安価で名品を手に入れられる大きなチャンスでもある。
 ギャラリーのオーナーは口をにごしていたが、おざなりの身元確認しかしていないのは間違いなかった。
 マコーミックは独自でクレーン家の調査を始めた。
 彼女は五番街の、ニューヨークでは名の知れたアパートメントの十二階フロア全ての持ち主だが、それ以外にもカリフォルニアのサンタ・バーバラの海辺とコネチカットのニュー・カナーンの山中に、それぞれ「宮殿のような」と表現された壮麗な大邸宅と広大な敷地を所有していることが分かった。ニュー・カナーンでは入り口から車で二十分走らないと邸宅にたどり着かない。この三つの資産だけで、普通の住宅が何千件も買えるだろう。
 彼が何より驚いたのはふたつの見事な別荘が、その女主人が不在のまま、何十年にもわたり完璧な状態で維持されていることである。
 カリフォルニアではプールは青い水をたたえ、コネチカットでは暖炉に火が絶やされることはない。どちらの庭園も大勢のスタッフで常に美しく整備されていた。
 それでもなお、ここで働く人達は誰ひとり、その女主人の顔を見たことがない。
 マコーミックは長い年月、使いもしないこのふたつの別荘の維持に費やされた莫大な費用を思い浮かべ、ウインストンがドガの絵をプレゼントだとこともなげに言い捨てたことが少し理解できた。
 ジュリエットの写真は離婚で裁判所に出頭した際に撮影された二十二歳のが最後で、それ以降は一枚も存在しない。
 その写真では彼女は唇を固く閉じ、どこか遠くを見詰めている。美しい人だが、厳しく、表情がないのが彼女の心境を表しているなとマコーミックは思った。
 マコーミックは無性にアパートメントに入りたくなった。出来ればジュリエットにも会いたい。
 彼女に関わりのある人間はあとひとり、ケビン・スミスという会計士がいて、マコーミックは電話をかけた。
 スミスはウインストンからドガの絵の件は聞いていて、マコーミックの名も知っていた。会計士は弁護士よりはるかにフレンドリーだったが、詳しいことは分からないようだった。
 マコーミックはアパートメントでジュリエットに会える機会があるか尋ねたが、無理ですと断言された。
 メイドが最初、留守だと応答したことを思い出し、もうアパートメントにはおられないんですねとマコーミックは突っついてみた。会計士の沈黙は何よりの肯定だった。
 しぶしぶ口を開いた彼は、彼女が入院中のことを認めた。
病院の創立時に彼女は多額の寄付をしており、そのプライバシーを守ることに病院は何よりも熱心で、接触は不可能ですよと彼は念を押した。
 六十歳を超えているスミスは、ジュリエットに直接会ったのは大昔のことで、最近はほとんど電話で用事を済まし、アパートメントへ行ってもドア越しに喋るぐらいで、長い間顔も見ていないと愚痴をこぼした。
 同年代のウインストンも似たようなもので、彼女とは直接会っていないはずだと言う。
 どれほど長い付き合いでも、もう男の顔は見るのも嫌なようだった。
 我慢出来す、マコーミックはカリフォルニアとコネチカットのふたつの別荘について質問をぶつけてみた。
ー一度も利用されたことがないのに、どうして何時行ってもいいような状態にしてあるんです?ー
ー万一を恐れてですよー
ー何を?ー
ーソ連が、今はロシアですが、核戦争を仕掛けてきたら、逃げ込むためですー
ー冗談ですねー
ー会計士、ウソつきませんー 
 マコーミックはもう一度、メイドのミランダに電話をしてみたが、ジュリエット様の許可がない限り、どなたもお入れ出来ませんとけんもほろろに拒絶された。
 まして自分は若い男だもんな、とFBI捜査官は苦笑した。
 クロスは母娘で六十年以上もこのアパートメントでジュリエットに仕えている。ウインストンとスミスも、三十年以上にわたって彼女の面倒を看ており、その経歴には何も問題は無い。
 マコーミックの話が終わるとケリガンは顔をこすり、
「正直、安アパートメントで暮らすものにはムカつく話だな」と吐き捨てた。
 マコーミックはうなづいた。
「そこでちょっと足元から攻めてみることにしました。管理人事務所へ行き、若い管理人と親しくなりました。一般人は案外FBIと喋るのが好きなんですよ」
 眉毛をちょっと上げ、ケリガンの顔を覗き込む。
 NYPDのベテラン刑事は、そういうもんかねと見返した。
「管理人は勿論、弁護士、会計士、メイドの顔は知っています。面白いことに、彼はまだジュリエットがトップ・フロアに住んでいると信じ込んでいました。その時に銀髪の男の話が出たのです。名前がクレーン家への訪問者リストに数回登録されていました。カール・ライナーとね」
 ケリガンはにわかに興味を覚えたらしく、身を乗り出した。
「クレーン家の訪問客は滅多に無かったので、管理人は容貌も鮮明に憶えていました。帰り際にラディソン・ホテルへの道筋を聞いたこともです」
「そうなりゃ、ふたりの身元を割り出すのは簡単だったろう」
「カール・ライナーはすぐ分かりましたよ。念のため、管理人に写真を見せて、確認しました。モニカの方は、自分からラディソン・ホテルのフロントやバーで、自分はハリウッド女優だとペラペラ喋っていました」
「やつがクレーン家の誰に会ったのか分からないのか?」
「訪問者の予定は管理人室のデスクのモニターに、各部屋から直接送られるんですよ。カールが誰に会ったのかは、モニターの記録だけでは分かりません」
「それでカールを張っていたのか」
 マコーミックはちらっとアパートメントを見上げた。
「もう少しタマを揃えてからでないと、この城は攻められませんよ」
 ケリガンは意味ありげに彼を見た。
「ボブ。クレーン家には、ドガ以外に日本の美術品もあるのか?」
 マコーミックはにやりとした。
「間違いなくあるでしょう。なにせ、ジュリエットは、先の大戦中にFBIからマークされていたぐらいですから」
「ほう、また、どうして?」
「日本に異常に強いシンパシーを持っていて、憧れていましたからね。筋金入りの日本好きだったんです。そんな女が、莫大な資金を抱えて、このニューヨークのアパートメントに潜んでおれば、お役人は神経質になりますよ」
 ケリガンの太い眉毛がぐっと寄った。
「彼女には愛国心というものがなかったのか。アメリカの若者を数多く殺した相手だぞ」
「日本の若者も大勢死んでいますよ」
 ケリガンは首を振り、この話題から退くことにした。
「じゃ、そのなんと言ったかな、そう、ビョウブか、それもあるんだな?」
「多分ね」
「映画で見ると、ビョウブってのは、かなり大きいもんだろう。実際にはどれぐらいあるんだ?」
「大きさは色々ありますが、ホンケンと呼ばれる昔からあるスタンダードなものは、高さが六フィートぐらい、広げると十フィート近いです」
「バカでかいな」
「折りたためば大人ひとりで持てますよ」
「パステル画と違って、それだけかさ張るモノなら、管理人も運び出された時に気づいているんじゃないか」
 マコーミックは黙ってうなづいた。何とか糸口が見え出したようだ。
「クレーン家の誰かにカール、モニカ、殺された日本人が繋がっているとすると、被害者はこの三週間でクレーン家がらみの、おそらくビョウブに関する仕事を請け負っていたんだろう。それも結構な報酬で」
「チェック・アウトの前日に女を抱こうとするぐらいですからね。僕はニシムラは口封じのために殺されたと思っています。金はモニカが回収したんでしょう。当然それ相応の分け前は貰っているはずです」
 ケリガンにはホテルの部屋で札束を勘定するニシムラの姿が目に見えるようだった。指紋はほとんどの紙幣についているのに違いない。
「ところで、金を持てば女はショッピングに走りますね」
 ケリガンは首をかしげてマコーミックを見た。
「ボブ、君はどうして応援を頼んでFBIでやらないんだ」
「このクレーン家の一件、マスコミが嗅ぎ付けたら殺到しますよ。うちの上司がこんなオイシイ話、若造に任せてくれると思いますか」
「そりゃ、お互いさまだな」
 ケリガンはニヤリと笑って立ち上がった。
「おれはジョーンズと動く。情報は感謝するよ。ミセス・ニシムラと会ってなにか展開があればそちらに知らせる」
 と手を差し出した。
 マコーミックは握りながら、
「ケリガン、お子さんはいるんですか」
「娘がな。この街もおれの仕事も嫌いだと言ってマイアミに行っちまった。もう二年も会ってない」    
「人生にはどうにもならないことがありますよ」
 マコーミックは言った。

 ラディソン・ホテルの近くにレザーのバッグと財布を取り扱う洒落た店があった。
 ここ二,三日、モニカはウインドウに飾ってある銀でトリミングした紅いバッグを通るたびに立ち止まって見詰めている。欲しくてたまらなかった。あたし達にピッタリじゃない、と思う。
 二千五百ドルもするが、今懐には充分な金がある。カールはこの街で使うなとうるさく言っているが。
 ウインドウの前に立ったままのモニカに店内の売り子がちらちらと視線を送ってくるのが分かる。
 思い切ってモニカはドアを開けて店内に入った。パッと顔を明るくした売り子が、「いらっしゃいませ」と意気込んで挨拶する。
 モニカは立ち止まった。しばらく考える。やっぱり止めよう、くるりと回れ右すると、店を出て行く。

 マコーミックの携帯にケリガンから電話があった。
「今ミセス・ニシムラと死体の確認が済んだところだ」
「何か?」
「彼女は何も聞かされていないようだな。しかし冷静で落ち着いていたよ。それより付き添いで来ている若い女だ。これが大した娘っ子だよ。おれは日本の女たちを見直したぜ」
「あなたが認めるんだったらホンモノでしょう」
「ああ。ニシムラはビョウブの職人だったな。彼が京都で仕事をしていたのは、その若い女が働いている『タニヤマ』という店だ」
 ケリガンは携帯を握り直した。
「会った方がいいぞ。おれは彼女たちを宿泊先のアムステルダム・コート・ホテルへ送っていく。三十分後、ロビーでどうだ」
「すぐ行く」

 モニカは服のままホテルのベッドに寝転がって天井を見詰めていた。
 どう考えてもあの日本人が大金を持っていたのは自分たち以外は誰も知らないはずだ。
 カールだってあのバッグを持った私を見れば気が変わるに違いない。そう考えると自然と笑みがこぼれた。
 モニカは起き上がった。

 ケリガンに紹介された恵美は物怖じすることなくマコーミックを見詰め、手を差し出した。
「ヤマザキです」
 なるほど、とマコーミックは手を握ったが、彼女から視線を外すことが出来なかった。
 意志の強そうな眼差し、形のいい鼻と唇、微妙な美しさの顎のライン、すべてが魅力的だった。
 ケリガンが、押さえてと眼で合図したので、マコーミックは握っていた手を慌てて離した。
「FBIの方がどうしてここにおられるのですか」
 心地よく響く声で、キレイな英語だった。
「ミス・ヤマザキ、最初にミスター・ニシムラのご不幸について心よりお悔やみ致します」
 マコーミックは丁重に挨拶した。
「有難うございます。ミセス・ニシムラにもお伝えしておきます。旅の疲れもあって、今は部屋でお休みになっていますので」
「私としてはですな、ミス・ヤマザキ」
 ケリガンが口をはさんだ。
「実際の犯行なんですが、未亡人にはあからさまに申し上げ難い内容があって、それをあなたの耳に入れておきたいんです」
「体の自由を奪うクスリを呑まされ、大量の麻薬を注入したことによるショック死とのお話でしたね」
「そうです。それで重要な容疑者がいるのですが、それがですな・・」ケリガンは咳払いをして、「女性でしてね、ミスター・ニシムラがご自分で部屋に呼ばれたと我々は考えております」
「つまりコール・ガールですね。こちらではエスコート・レディと呼ばれていると思いますが」
 ほらな、言ったとおりだろとケリガンはマコーミックを見た。
「このマコーミックが提供してくれた情報で、ある女性を特定することが出来ました。私の同僚が今も張り付いています」
「と言うことは、まだ証拠が出ていないんですね」
 ケリガンが苦笑いをした。
「な~に、そのうち必ずしっぽを出しますよ」
「ミスター・ニシムラはあなたが働いておられる店のヒョウグシらしいですね」
 マコーミックが尋ねた。
 表具師を日本語で言われたので、恵美は眼を見張った。
ーワン・ポイント取ったぞー
 マコーミックは内心ニンマリした。

「返してこい」
 カールはバッグをモニカに放り投げて言った。
「だって似合うじゃない」
 モニカはふくれっ面をした。
「そんなバッグなら百個でも二百個でも買ってやる。この街ではあの金は使うなとあれほど言ったじゃないか。買ったのが二,三十分前ならまだ間に合う。行ってあの金を取り戻して来い」
「死んだジャップが持ってた金だって誰にも分かりゃしないよ」
「返して来いと言ってるんだ」
 カールは眼を細めて低い声で言った。
 これ以上逆らえばどうなるか彼女は良く知っていた。
 モニカはバッグを持って立ち上がった。

「ミスター・ニシムラは、『タニヤマ』専属のヒョウグシですか?」
「それは違います。彼は独立した職人でした。ただ『タニヤマ』とニシムラの結びつきは堅く、ビョウブ関係の仕事は全てまかせていたので、世間からはそう見られていたかもしれません」
「ははあ、すると彼の実入りは、『タニヤマ』の発注に大きく左右されるわけですね」
「はい。正直なところ、アメリカ向けの屏風の販売は、このところ低迷しているので、内情は苦しかったかもしれません」
「ミス・ヤマザキ、それにしても、あなたの英語の発音は素晴らしいですね」
「とんでもない、ミスター・マコーミックこそ、私たちの文化について良くご存知なので、感心しています」
 すっかり意気投合したように喋っている恵美とマコーミックはいささか面白くない気分で眺めていたケリガンの携帯が鳴った。
「ケリガン」
 応答した彼がガバッと、身を起こす。
「使ったのか、二千五百も!」
 マコーミックがさっと視線を送った。
「店の販売員の確認は取ったな。よし、鑑識に最優先だと言って回してくれ。おれはこれからホテルに回ってお前の代わりに二人を張る」
 ケリガンは立ち上がった。
「モニカがバッグを買ったそうだ。キャッシュでな」
 恵美に向き直り、
「ミス・ヤマザキ、捜査に進展があったみたいなので、私は失礼します。いいご報告が出来るようにベストを尽くします」と手を差し出す。
「有難うございます。お気を付けて」
 恵美は気持ちを込めて固く握った。
 彼女は急いで出て行くケリガンを見送りながら、
「話の様子ではお金が問題のようね。指紋ですか」とマコーミックを振り返った。
ー本当に頭の良く回る娘だなー
 マコーミックは改めて感心した。
「まあ、そうですね」
「紙幣から指紋が採れるの? 多くの人の手に触れるものなのに、証拠になんかなるんですか」
「指紋は採れます。証拠に成るか成らないかは採取されたのがどの段階かがポイントなんだ。ま、それはケリガン刑事から詳しく聞いて下さい」
 恵美もこれ以上は無理と感じたのか、話題を元に戻した。
「ミスター・マコーミックは・・」
「ボブでいいよ」
 恵美はにっこりした。
「じゃ私はエミと呼んで。ボブ、ニシムラさんはここで仕事をして、大金を手にしたと考えているのね」
「そうだと思う。僕はある大変な資産家の美術コレクションについての疑惑を探ってる。FBIでのACTの役目は先ほど説明したね。その資産家は高齢の女性だが、外出することもなく、たった一人で暮らしているんだ。弁護士、会計士、それからメイドが彼女の面倒を見ているんだけどね、その内の誰かか、或いは、ひょっとして共謀してか、何か胡散臭いことを企んでいるんじゃないかと思うんだ。それでその手先になって動いているらしい怪しい男がいるんだが、そいつの彼女があの夜、ニシムラさんに接触したエスコート・レディだよ」
「そこでケリガン刑事と接点が出来たという訳ね。ニシムラさんは確かに女遊びが好きそうだったけど、結構気が弱い人なの。英語もろくに喋れないのに、どうしてそんなことが」
「男がお膳立てしたんだろう」
「自分の彼女をエスコート・レディにするって、アメリカ人って本当に変ね」
「そう決め付けないでくれよ。ちゃんとまともな男もいるんだから」
 FBIの若者の抗議があんまりにも真剣だったので、恵美は笑ってしまった。 

 バッグを持ったモニカは店の手前でハッと立ち止まった。
 ウインドウ越しに男がバッグを売ってくれた売り子と喋っている。
 ひと目でデカだと分かった。チッ、とモニカは舌打ちした。
 離れて物陰から様子をうかがっていると、男は手に紙袋を持って慌しく飛び出していった。
 念のためにと思って、モニカは店内に入った。モニカを見た売り子は青くなった。
「すみません。このバッグ、返品したいんだけど」
「あ、は、はい、結構ですが、今は現金が手元にありません。明日でしたら」
「そう、じゃあ明日又来ます」
 カールが言ったとおりだった。

「エミ、ニシムラさんはニューヨークで何をしていたと思う」
「あの人は屏風専門の表具師よ。でも三週間ぐらいではたいしたこと出来ないし、道具も持ってきていなかったわ。あ、チョッと待って。そう言えばさっき奥さんが、警察で見せて貰っていた遺品の中にヘラがあったわ」
「ヘラ?」
「スパチュラのこと。ペーパーナイフに似ていて、表具師の必需品よ」
「何をするもの?」
「屏風の構造は?」
「あまり詳しくはー」マコーミックは首を振った。
「簡単に言えば障子のような木の骨組みの両面に何枚も紙を張り重ねたものなの。だから屏風本体は中空なので、大きさの割には軽いわけ。ヘラは張った紙を骨組みからはがす時に使うのよ」
「それは面白い。わざわざそんなものだけ持ってニューヨークへ来たってことは、仕事は屏風の修理と考えていいかな?」
 恵美は首をかしげた。
「でも職人を呼ぶぐらいなら、日本に送って修理させた方が安上がりだし、完璧なのに」
 マコーミックは恵美と話をしているのが楽しくてならなかった。何とかこの時間が長く続くようにと願っていた。
「今ちょっと思い付いたんだけど、こんなことは可能かな。屏風の片面を、例えば裏側を一度はがし、その中空の空間に何かを入れて、また張り直すんだ」
「変わったことを考えるのね。物凄く手間がかかるけど、ニシムラさんなら出来ると思う。でも何を入れるの。かさ張ったり、重いものは駄目よ」
「そこだな。でも日本へ送り返した方が、修理は簡単なら、何故彼はここへ呼ばれたんだ。しかもおそらくその秘密を知っている為に彼は消されたのだと思う」

 ラディソン・ホテルのロビーで読みもしない新聞を眺めながら、こんなことなら何か腹に入れておくんだったなとケリガンは後悔した。フロントにはNYPDのバッジを見せて、カールとモニカがホテルから出ていないのは確認している。
 やはり応援を呼ぼうかと思った時に、ジョーンズからの電話があった。
「どうだった?」
 ケリガンはいきなり尋ねた。
「良いニュースと悪いニュース、どっちを先に聞きたい?」
「良い方を言え」
「ニシムラの指紋はベタベタ付いていたぞ。嬉しくって何回も勘定したんじゃないか」
「で、悪い方は」
「おれが店を出た直後に女がバッグをキャンセルに来た」
「ファック!」
「急だったので店も対処のしようがなかった。金がないと知って、明日戻ると言って帰ったらしいが」
「感づいたと見ていいな、いいか・・」とケリガンが言いかけた時、カールとモニカがロビーに出てきた。
 ふたりを見たフロントの男が意味ありげな視線をケリガンに送る。
ー余計なことをしやがるー
 ケリガンは内心舌打ちしたが、さりげなく会話を続けた。
「出てきたぞ。おれはこれからつけて行く。待機していてくれ」
「了解」

 マコーミックはケリガンには伝えていない情報があった。
 ジュリエットは確かにアパートメントからは出ることがなかったが、電話では外の世界と頻繁に接触していた。
 弁護士や会計士は当然としても、数は少ないが二,三の友人もおり、又彼女が興味を持った本や美術品を様々なところから購入している。
 なかでも一際眼についたのはサン・フランシスコにある日本美術のギャラリーを所有するG・T・マーカス商会で、記録にあるだけでも戦前からずっと、コンスタントに連絡を取り続けていた。当然ビョウブも含まれているのではないか。
 エミの働いている「タニヤマ」も京都で古くから古美術や工芸品を取り扱っているらしい。ひょっとしたらマーカス商会を知っているかもとマコーミックは訊いてみた。
「はあ~? マーカス商会よ。ボブ、あなた、知らないの? 大学の美術研究会で、何を勉強してたのよ」
 アキレタ、とばかりに首を振る。
「いい?創始者のマーカスって、開国したばかりの日本から、美術や工芸品を持ち帰り、ジャパニーズ・アートのギャラリーをアメリカで初めてオープンした伝説的な商人なの。それも二十歳になったばかりでよ。本当の開拓者魂を持ったヤンキーだったのね」
 ポンポンとまくし立てる恵美を見ながら、マコーミックは新鮮な驚きを感じていた。ニューヨーク大学にも、何人か日本人の女子留学生がいたが、恵美は彼女らとは、まるで違っていた。
 育った国の文化に対して深い敬意と愛情を抱き、自分自身を知り、FBIを相手に堂々と応対している。
 マコーミックの想いはますます強くなった。
「十九世紀の後半、マーカスはサンフランシスコで、少し遅れてタニヤマも京都のシンモンゼンで、それぞれギャラリーを開いた。一世紀以上も続いている日本の美術工芸品の専門店って、世界でもうこの二軒しか残っていないのよ。お互いが相手に対して、どれだけのリスペクトと信頼を寄せているか、分かるでしょう」
「正直言って驚いたよ。マーカスもタニヤマも、そんなに長い歴史がある店だったとはね。じゃ、ずいぶん昔から取り引きはあるんだろうね」
「少なくとも古いタニヤマの顧客リストのトップにはあるわ。だけどー」
 珍しく恵美が言いよどんだ。喋っていいものか、迷っている。マコーミックは辛抱強く、黙って待ち構えた。
「ここ十年でどちらも取り巻く状況が大きく変わったし、それに三年前にマーカスの三代目が亡くなったの」声のトーンが落ちた。「残された未亡人が頑張っておられるけど、何時まで続くかな、という感じ」
 マコーミッックはうなづいた。
「今のタニヤマの四代目はまだ若いし、マーカスの亡くなった三代目や未亡人とは、まったく面識がないの。だからマーカス関係は、昔からモリモトというベテランが、ずっと担当しているんだけど、最近はあまり連絡がないそうよ」
 サンフランシスコのマーカス商会とキョウトのタニヤマの係わり合いは興味深かったが、彼は、若いと恵美が言ったタニヤマの四代目の方が気になった。
 これまで古美術店のオーナーなら、高齢の既婚者だろうと勝手に決め込んでいたのだ。
「エミ、タニヤマの四代目って、年令はいくつ?」
「三十五よ。ね、それよりどうしてマーカス商会なの・・・そうか、分かった。ボブの探っている大変な資産家の件で、その名が出てくるのね」
 マコーミックはため息をついた。

 モニカは肩から大きなバッグを掛けていたが、カールは手ぶらだった。
このままズラかるようでもないな、とケリガンは思った。日はすっかり暮れていたし、人通りは多いので、尾行はさほど難しくない。
 ふたりはペン・ステーション近くの薄暗いビルの角にあるバーに入って行った。ケリガンはジョーンズを呼び出し、バーの名前と住所を告げた。
「どうする?」
 ジョーンズが尋ねた。
「分署で聴取しよう。男が騒ぐと厄介だな。二、三人で来てくれるか」
「分かった。二十分ほどかかるぞ」
 ケリガンは電話を切るとバーに入った。バーは奥に長く、右手にカウンター、左手に仕切りのある四人掛けのブースがいくつかあり、その内のひとつにふたりは座り、顔をつき合わせて何事か喋っていた。店内は疲れた様子の男女でそこそこ埋まっている。
ーしけたバーだなー
 ケリガンは顔をしかめ、カウンターの端に腰を下ろした。
 オーダーのブッシュミルズがきて彼がひと口飲む前に、モニカが立ち上がり、奥の方へ消えた。
 ケリガンはバーテンダーを眼で呼び寄せ、低い声で、奥はトイレかと尋ねた。彼がうなづくと、別に出口があるかと重ねて訊いた。バーテンダーは首を振った。
 ケリガンが飲み始めてしばらくすると、カールがいきなり立ち上がり、出て行った。
 一瞬ケリガンは迷ったが、奥のトイレへ急いだ。女性用のドアの前で逡巡していると、メガネを掛けた小太りの女が不思議そうに振り返りながら出てきた。
 ケリガンはバッジを示した。
「NYPDです。赤毛の女がいましたか?」
「たった今、あの窓から出て行きましたよ」
 女はトイレの奥を指した。
 覗くと小さな窓が暗闇に口を開けていた。
 ケリガンはバーの中をダッシュして入り口を飛び出し、ビルの横手へ回ると、奥に向かって駆け出した。
 突き当たりはレンガ壁が広がり、ビルの奥壁との間に幅一メートルほどの隘路がある。
 開いたトイレの窓からもれる淡い光では良く分からないが、ごちゃごちゃと何か細かいものが転がっている。
 ケリガンは油断なく身構えながらそろそろと入っていった。
 暗闇に眼が慣れてくると辺りの様子が見えてきた。突き当たりは壁になっていて逃げ場はない。窓から出たのなら表通りへ向かうしかないのだからケリガンは出会っていたはずだ。
 おかしいな、あのメガネの女は確かー、ケリガンはクソッとおのれ自身をののしった。
 マコーミックが女は変装のプロだと言ってたじゃないか、肩に掛けたあのバッグの中には・・・
 ケリガンの背後からいきなり手が伸びてグイと彼の顎を反らすと、喉に熱く鋭い痛みが走った。
 自分でも驚くほどの大量の血が噴き出し、立っていることが出来ず、ケリガンはガックリと膝を着いた。
「悪く思うな」
 と声がして、ナイフを持っていない方の手がケリガンの携帯を抜き取った。
 立ち去っていく足音を聞きながら、彼は自身の血溜りに倒れ込んだ。
 ゴボゴボと喉から流れ出す血の音が聞こえる。
ー一度あいつとスシを食いたかったなー
 それからすべては暗闇になった。

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