小説

貿易屋、恵美の大冒険-マンハッタンに眠るジャパニーズドールと謎の屏風-第4章-

第四章

 1871年(明治四年)徳川幕府に替わる明治政府は散髪脱刀令を出した。
 これは髷を切ったらどうか、刀も止めたらいいのではというアドバイスで、禁止令ではない。 
 まだ刀を持ち歩いていたサムライ姿も当時は普通に見受けられたのであろう。江戸の面影が色濃く残っていた歴史の転換期の日本である。
 その翌年の1872年、オーストラリアのメルボルンからアメリカのサン・フランシスコへ向け出航した船にマーカスと名乗る一家が乗っていた。マーカス自身は作曲家であり、音楽の教師でもあったが、アメリカの方がまだ稼げるチャンスが多いと見て家族ぐるみの移住を図ったのである。
 彼にはジョージと呼ばれる十五歳の息子がいたのだが、船が門戸を開いたばかりの横浜へ寄港したことで、少年の運命は大きく変わる。
 ジョージはたちまち日本の文化と美術に魅了された。ここで降ろしてくれと彼は父親に懇願する。
 つい最近まで開国か攘夷かで内戦をしていた国である。十五歳の少年をひとりで残すことなど到底考えられなかった。一家は猛反対するが、少年の決心は固かった。父親は遂に折れ、それでも何とか茶の輸出と輸入を扱う商会に居場所を見つけてやり、心を残しながらアメリカへと向かった。
 サン・フランシスコに落ち着いた一家はジョージにラヴ・コールを送り続け、四年後の1876年、彼はやっと日本を離れ、アメリカの家族に合流する。
 ジョージが四年の歳月を東洋の異国でどう過ごしたかは分からない。日本の各地をあちらこちらと若さに任せて歩き回っていたようだ。
 家族は心配していたが、実は、全くの取り越し苦労だった。帰国したジョージと入れ違いのように単身日本を訪れたイギリスの女性旅行家、イザベラ・バードが「日本奥地紀行」に書き残しているように、[世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にも合わず、全く安全に旅行できる国はない]ところだったのである。
 そこに住む人たちは金持ちも、そうでない者も、一様に親切で、善良で、礼儀正しいと、当時日本に滞在した欧米人が異口同音に語っている。
 まして、ただ純粋に日本と日本人が好きで、家族と離れてまで、ひとりでこの国に滞在する決意をした外国の少年が、人々のあいだでどれだけ暖かく迎えられたかは想像がつく。
 高い報酬で来日している明治政府のお雇い外人や大名旅行の金持ちとは違い、ジョージが日本の社会に溶け込むのに時間はかからなかった筈だ。
 彼は大きなビジネス・チャンスが目の前に転がっていることにすぐに気がつく。かかった手間や仕事の割には日本の工芸品や美術品は法外に安価だったし、骨董品などはもっぱら道具屋を覗けば信じられないような値段で買えた。宝の山にいるようなものだった。
 アメリカへ持っていけば一財産つくれることは目に見えている。ジョージは家族と合流する日に備えて出来るだけ品物を集めることにした。
 青い眼の「貿易屋」の誕生である。
 サン・フランシスコへ向かう船の船長と乗組員は彼が持ち込んだ工芸品と骨董の山に仰天した。
 彼らには高い船賃を払ってまで、わざわざアメリカまで持っていくような価値のあるものにはとても思えなかった。
 父親の援助もあって、ジョージはホテルの一角に「G.T.マーカス商会―日本アートの宝庫」をオープンする。アメリカで最初のアジアのアートを取り扱うギャラリーの出現だった。
 ジョージの思惑は当たった。何といってもギャラリーのオーナー自身が神秘の国、ジャパンで数年過ごして集めたものばかりである。すでにフランスの美術界に大きな影響を与えていたジャポニスムがイギリスを経てアメリカにも伝わりだしていたのも幸いした。
 品物は飛ぶように売れた。当然在庫はあっという間に消えていく。
 ジョージは抜け目なく、日本を離れる前にサプライヤーの手配は済ませていた。彼のために補充の品物を適当に “みつくろって”送ってくれる仕入先のことである。おそらく気心の知れた「貿易屋」の友人だったと思われる。
 手紙や決済、品物の発送もすべて船便の時代だったので時間はかかったが、ジョージは日本の友人たちを信頼していたし、又それが損なわれることは一度も起こらなかった。
 マーカス商会の評判は次第に東海岸へと広がり、ジャパニーズ・アートに関心のあるコレクターなら先ず耳にする名前になった。

 J・F・ケネディ空港の出発ロビーで恵美とマコーミックは搭乗開始のアナウンスを待っていた。房江は疲れたのか近くの椅子でこくり、こくりとしている。
 マコーミックは沈んでいた。
「バーテンダーはケリガンが店を飛び出したと証言したし、悪賢い犯人は彼の携帯を地下鉄の車両に隠したので、警察は見当外れのところを探しまくっていたのさ。元のバーに戻って、ビルと壁の狭い隙間でケリガンを見つけるまで、二時間もロスをしたんだよ」
「気の毒に。犯人は分かってるの?」
「ああ、僕は例のカップルの男がやったと信じている。同僚のジョーンズの話では、ふたりがグルになって、ケリガンをはめたようだ」
「絶対、捕まえてね」
 マコーミックは大きくうなずき、遠くを見る目付きをした。
「僕の親父も警官でね、でも八歳の時、ギャングとの銃撃戦で死んだんだ」
 恵美は手を伸ばしてマコーミックの手をそっと握った。
「親父もケリガンのようにぶっきら棒な男だった。見かけはね。でも実直なぐらい悪を憎んでいたんだ。ホントに悔しいよ」
 ふたりはそのまま暫く黙ったままだった。
「僕はこいつらはもうアメリカにはいない気がする。おそらく偽名を使ってね。警官殺しには、みんなの目の色が変わるからね。ことにケリガンは好かれていたし」
 マコーミックは恵美を見た。
「実は男は日本に土地勘がある。日本語も喋れる。ニシムラの滞在中の面倒を看ていたのもやつだろう」
「日本へ向かったかもしれないと?」
 恵美は訊いた。
「多分」
「屏風は?」
 マコーミックはハッとした。ニシムラの命を呑み込んだ屏風は今どこにあるのだ。
「ジョーンズの話では、女が買い物で使った金を徴収した直後に、彼女にきづかれたらしい。女はホテルにとって帰り、男と相談する。ふたりにとっても思いがけない展開だったのは間違いない。急いで逃亡の準備をしたんだろう。ホテルを張られていたことは、覚悟していたはずだ。気の毒なケリガンを犯行現場へ導き、亡きものにして姿を消してしまった。ほんの数時間の出来事だよ。自分たちのことだけで精一杯で、ビョウブをどうこうするヒマなんてなかっただろう」
「じゃ、ニシムラさんが仕事をした現場にまだ置かれたままかしら」
「これだけ苦労した大事なビョウブを、そう簡単に見捨てるようには思えないな」
 ロビーの開放的な窓からは、ひっきりなしに離着陸するジェット機の姿が見える。待機している便に載せようと小型のトレイラーが輸出用のカーゴを何台も引っ張って通り過ぎていく。
 ふたりは顔を見合わせた。
 恵美が言った。
「同じことを考えている?」
 マコーミックはうなづいた。
「ああ。もうニューヨークにはないんだ。先にどこかへ送り出してしまっていたんだ」
「きっと日本だわ」
「その可能性は大きいけどー」
「絶対そうよ。実はニシムラさんの奥さんが、この仕事を紹介してくれたのは、レーク・ビワの湖畔にあるタケダ美術館だと、そっと私に洩らしてくれたの。タニヤマにはくれぐれも内緒にと念を押して出かけたらしい。そんなこと、気にするようなコウジさんじゃないのに」
「コウジ?」
「あ、タニヤマの四代目」
 ファースト・ネームで、オーナーを呼ぶのかとマコーミックの胸はさわいだ。
「レーク・ビワって、キョウトのすぐとなりにある大きな湖だろう」
「そう。私たち京都市民は、その湖の水で生活しているのよ。タケダ美術館は、正直あまり評価が高くない。ジャンクが多いと聞いているわ」
「ここ数日の通関記録をあたってみよう。日本向けの屏風なんて珍しいはずだ」
「向こうのエアポートは関空でしょう。やはり屏風がカギね。その資産家の女性に直接当たれないの?」
「とてつもなくハードルが高い。僕はすぐサン・フランシスコへ飛ぶつもりだ。マーカス商会から何か手掛かりが得られるかもしれない」
「頑張って、ボブ」
 マコーミックは恵美を見詰めた。
「エミ、君はボーイ・フレンドがいるのかい?」
 恵美はマコーミックの手を握ったままなのに気が付いて、そっと離した。
「はい」
 はっきり答える。
「そうか。君のような素敵な人なら当然だな。だが、僕はあきらめないよ」
 搭乗開始のアナウンスが始まった。

 モニカは鴨川の上にかかる三条大橋の欄干に寄りかかって北山を眺めていた。赤毛は目立つのでブラウンのヘアにしている。京都へ入って二日目だが、彼女はもう寺ばかりの古臭い街が嫌になっていた。
「ねえ、トウキョウへ行こうよ」
 振り返って言う。
「駄目だ」
 カールはにべもなく答えた。彼も髪を黒く染め、短くしていた。
「仕事が済まないうちはな」
「あとどれくらいなの」
「分からん。屏風が税関で止まってるんだ。タケダもイライラしてるようだが」
「じゃ、オオサカでも行こうよ。ここつまらないよ」
 そいつは悪くない考えだった。
「よし」
 彼は橋のたもとの京阪電車の三条駅へ歩き出した。
「何処へ行くの、カール」
 カールは肩越しにモニカを睨んだ。
「二度とその名で呼ぶな」
「そうだった、ゴメン」
 モニカは肩をすくめ、カールの跡を追った。

 関空のロビーに入った途端、見計らったように恵美の携帯がなった。
 マコーミックだった。もうサン・フランシスコへ着いたと言う。
「流石に素早く動くのねえ。こっちも無事帰ったわ」
「良かった。それから税関の通関記録はニューヨークを発つ前に調べた。四日前にユナイテッド・エクスプレスという運輸会社がグリニッチ・ヴィレッジの貸しスタジオで屏風の荷物を引き取り、エア・カーゴで関空へ出荷していた」
「やったじゃない。送り主は?」
 マコーミックは、ふんと鼻で笑った。
「Fine Artsとなってるが、コイツはフォールス・ネームだな。存在していない。アドレスも貸しスタジオだ。ところでその数週間前に例の資産家のアパートメントまで屏風を引き取りに行き、貸しスタジオまで届けたのも同じ運輸会社だ。どちらもスタジオにいたのはケリガンをやった奴だ。ついでに言えば、赤毛の女も見たそうだ。費用はすべてキャッシュで払っている」
「アパートメントで引き取った時は誰から?」
「メイド以外いなかったらしい。彼女は非常に口が堅い。おそらく弁護士が立ち会わないと何も喋らない。貨しスタジオはキレイに掃除されて塵ひとつ残っていなかったが、西村の仕事場だったのは間違いない」
「そうなの。やはり屏風はレーク・ビワのタケダ美術館へ出荷されたのね」
「それが違う」
「え?」
「屏風の送り先は京都の『タニヤマ』だ。恵美の店だよ」
 恵美は絶句した。

 G・T・マーカス商会はサン・フランシスコのダウン・タウンの中心、ユニオン・スクエアにある。
 観光客で常に賑わい、高級ブランド店やお洒落なアート・ギャラリーが建ち並ぶ通りに、百三十年前サン・フランシスコ市民を熱狂させたアメリカ初の日本美術の店はさり気なく、ひっそりとたたずんでいた。
 予想していたイメージと違ったので、マコーミックは戸惑ったが、ガラス戸を押して入っていった。
 店内は奥行きがあり、そこそこの大きさがあったが、客の姿はない。
 壁際や床にまばらに置かれた異国の品々にはうっすらとホコリがつもり、長い間、手も触れられていないように見えた。すえた空気が漂っている。
 死に掛けている恐竜の胎内に、もぐりこんだ気分だった。
 奥で座っていた女性が立ち上がり、近づいてきた。典型的な南ヨーロッパ人の風貌をしている。
 マコーミックが自己紹介をすると、手を広げ、
「FBIの人ね。お待ちしてました。カテリナ・マーカスです」
 と陽気に満面の笑顔で歓迎してくれた。
 六十半ばだろうが、背筋もしゃんとして動きも軽やかだ。
 イタリア風のアクセントだったので、アメリカ生まれではないなとマコーミックは推測した。
「ご覧のような有様で、びっくりしたでしょう」
 近々店は閉めるつもりだと屈託なく話を続ける。
 三代目だった夫が亡くなり、ひとり息子は結婚してコロラドに住んでいて、跡を継ぐ気は全く無いのだと言う。
 からっとして明るく、引退後の生活には何の不安もなさそうだった。
「私の代で終わるのは残念だけど潮時ですね。何でもネットで手に入る時代ですもの。昔馴染みのお客さんなんて、今じゃほとんど・・・」
 カテリナは肩をすくめ、大きくため息をついてみせた。
「ジュリエットさんはー」
「ええ、ああ、それでいらしたんですね。お元気なんですか。ここ一、二年全然連絡がなくて。まだ入院されているんですか」
「だと思いますが、私もお会いするどころか、お話さえ出来ない有様で」
「相変わらずね」
 カテリナは笑った。
「長いお付き合いだけど、亡くなった主人も私もお会いしたことはないんですよ。電話と手紙だけ。それでお聞きになりたいのはどういうこと?」
「昔、何年頃かは分かりませんが、日本の屏風をお売りになったことはありませんか」
「ありましたよ。それも飛び切りの。今でもよく憶えているわ」
「どんな屏風です」
「ラクチュウ・ラクガイ」
「ラク・・・?」

「谷山」の事務室で浩二と伊助にニューヨークでのあらましを急いで説明した後、恵美は現地のユナイテッド・エクスプレスから屏風が本当に送られてきているか尋ねた。
「ああ、屏風は確かに到着している。ちゃんと関空の税関にあるで」
「ひょっとして武田美術館が?」
「半月ほど前、武田さんから急にアメリカから送られてくる屏風の輸入代行を頼まれたんや。でも西村のことはひと言も言わなかったけどなあ」
 浩二は浮かぬ顔をした。
「送り主のFine Artsって、偽名だとFBIの人が言ってました」
「そうだとしても、送り主の氏素性は我々には関係ないさ。そいつは武田さんの問題で、ウチが関わるこっちゃない」
 三人とも黙り込んだ。
「ニューヨークの刑事も殺されているし、このこと、武田さんにお断り出来ないの?」
「無茶言うな。もう保税倉庫に入っているんやで、『谷山』宛に」
 思いがけず、きつい口調だったので、恵美はシュンとして俯く。
 ニューヨークの話を聞いてから、浩二はイライラしていたのだ。
 西村には気の毒だが、どこか他山の火事と眺めていたのに、何時の間にか火の粉が降りかかってきた。武田の依頼なんか、引き受けるんじゃなかったなと後悔している。
 これまで何もかもうまくいっていたのに。
 やはり、恵美を求めたのは間違っていたのか。
 伊助が、われ関せずとばかりに天井を見上げているのにも腹がたった。
 恵美を見た。しょんぼりしている。
 少し乱れた髪が垂れかかり、艶めかしい。こんなに沈んでいる彼女を見るのは初めてだった。
 浩二の対応で傷ついたのだろう。
 突然、いとおしさがこみ上げてくる。恵美は全身全霊で自分を信頼し、頼ってくれているのだ。      
 それなのに何の罪もない彼女に当たるなんてどうかしている。
 浩二は落ち着きを取り戻した。
 この娘(こ)は宝ものや。
 何があっても、命がけで守って見せる。それだけのことやないか。
 不意に浩二がにこっとしたので、恵美は驚いた。理由は分からないが、素直に嬉しい。
「とにかく、『谷山』としては、依頼されたことを、粛々と済ましてしまおう。後のことはFBIなり、警察にまかしておけばいい。何だか政治家の答弁みたいやな」
 肩をすくめてみせ、元の浩二に戻ったので、恵美も伊助もほっとした。 
「武田美術館はどうして自分たちで受け取らないの?」
 恵美は不満気に尋ねた。
「色々あるんや、恵美ちゃん。アンティークの輸入はな」
 伊助が口を出す。
「そういえば、恵美は古物の輸入は経験したことがなかったな。基本的にはアンティークとインボイス(送り状)に明記してあれば、輸入税は一切かからない。どれほど高価でもな」
「今回送られてきた屏風のヴァリュー(価格)はいくらで申告されてるんです?」
「百五十万ドル」
「ひぇーっ」
 恵美はオーバーにのけぞった。
「けっこうな値ですね。どんな屏風なの?」
「ウン、それは、あとで・・・ところでアンティークと記載されているだけで、ホイホイ無税で通してくれるほど、役所は甘くない。税関に提出する鑑定書がいるんや。それで通関がちょっと遅れている」
「鑑定書?それって例の百年問題?」
「そう」
 谷山で働き出した恵美が、真っ先に浩二から注意されたのが、アンティーク=百年の問題である。
 日本では、アンティークという名称は、アバウトに骨董一般を表すものして通っている。
 ところが国際間ではantique(アンティーク)は、製作されてから百年以上経過したものをさすとはっきり規定されているのだ。
「だけどそんなに高価な屏風なら桃山か江戸初期のものでしょう。誰が見たってアンティークじゃない」
 恵美は口を尖がらせた。
「おい、おい、誰が見ても犯人だ、で人を逮捕出来るかい。証拠が要るやろ。輸入の場合も、それなりの人間が鑑定した証明書が必要なんや」
 例えば購入された作品が、オークション・ハウスのサザビーズやクリスティーズのカタログに記載されているような場合は、有力な証明になるが、出所不明でポッと出てきたものは、受け取る側でしかるべき権威ある人物に依頼して、証明書を用意しなくてはならない。
「谷山」は明治の創業以来、貿易屋としてフェアなビジネスをモットーにし、叉実行してきた実績があるので税関の受けはいい。京博(国立京都博物館)の学芸員らとも顔なじみで、培った貴重な人的ネットワークがある。
「ウチなら通関用の証明書を用意するのは、そう難しくない。勿論手数料は武田さんから頂くけど、煩わしい手間や輸入税を考えればずっと得だ」
 浩二はのんきに考えているが、恵美は釈然としなかった。ちゃんとした通関業者なら、証明書のことは何とかしてくれるはずだ。
 手数料を払ってまで、「谷山」に輸入代行を依頼した武田の真の目的は何だろう。
 マコーミックは屏風を密輸出の手段として疑っていただけだったが。
 恵美はハッとした。
 ひょっとして、屏風自体に、とんでもない価値があるのかもしれない。
 見計らったように浩二が言った。
「ところが昨日屏風を検分した八木先生がえらく興奮して電話してこられてね、すぐ見に来いとおっしゃったので駆けつけたんやけど、いやあ、びっくりした」
 言いながらデスクのノート・パソコンを開ける。
「恵美の帰国でバタバタしてたので、まだ伊助さんにも見せてない。ほら、撮ってきたその屏風の写真を見てごらん」
 画面に現れた屏風をひと目見て恵美は笑い出した。
「浩二さん、ダイジョウブですかあ。それは舟木屏風の写真ですよ」
 浩二は平然としている。
「驚くなよ。これがまさに、アメリカから送られてきたアンティークの屏風や」
「ええ、マジに!」
 恵美は驚いて画面に顔を近づけた。
「ああ。先生も太鼓判を押してられたけど、間違いなく又兵衛と同じ筆力があるって。去年のクリスティーズのオークションにでた南蛮屏風のケースと同じやないか。いやあ、こんな奇跡が続けて起こるとはね」
 南蛮屏風とは桃山時代に日本を訪れた南蛮人―ポルトガル人とその南蛮船を描く屏風だが、現存する作品は非常に少なく、美術市場に出ることは滅多にない。なかでも神戸市立博物館の狩野内膳の作品は南蛮人と南蛮船の描写が最も正確と評価が高く、南蛮屏風の代表作とされている。
 ところが昨年、ニューヨークのクリスティーズに構成が全く同じ屏風が出品されて美術関係者を驚かせた。博物館の作品と製作時期もほぼ同じということで、狩野内膳の工房の作と認定され、クリスティーズの日本絵画としては史上最高の四二〇万ドルで落札されたのである。
 一方、舟木屏風とは東京国立博物館にある岩佐又兵衛の作として知られる洛中洛外図の傑作で、重要文化財に指定されている。関ヶ原前後の京都の景観の中に約二千五百人もの人々を表情豊かに、ひとりひとり丹念に描き込んだ特異な画風で、非常に有名だ。
 舟木屏風、或いは舟木本と呼ばれるのはもともと滋賀の舟木家が所有していたものだからである。
 同じような屏風では、他に上杉本、町田本などがあり、この三双が洛中洛外屏風のいわば名品御三家だ。
「ではこちらも舟木屏風と同年代の作?それやったら、百五十万ドルは安すぎるわ」
「元の所有者が価値をよく分かっていなかったんやないか。通関が終わって詳しく検分しないと断定出来ないが、武田さんも凄い屏風を手に入れたもんやね。大評判になるぞ」
 恵美は納得した。
 通関の際にこの屏風が大きな関心を呼ぶことを、武田は見越していたのだ。
 それなら輸入の実績はゼロで、税関に馴染みのない武田美術館よりも、老舗の「谷山」を利用した方が無難だとふんだのではないか。
 後ろから覗き込んでいる伊助が珍しく口をはさまず、黙っているのに、浩二と恵美は気がつかなかった。

 マーカス商会の店奥に時代物のテーブルと椅子があり、マコーミックが腰を下ろして待っているとオフィスからカテリナが大きなアルバムを手に戻ってきた。
 ぱらぱらとページをめくっていたが、「これよ」と言って屏風が写っている大判のカラー写真を見せてくれた。退色が進んでいるが、デザインは非常に鮮明だ。
ーああ、ラクチュウ・ラクガイとはこういう屏風を表す日本語かー
 マコーミックは理解した。
 大学では単に『京都の町の内外の眺め』として教わっていたのである。
 マコーミックは写真の屏風を良く覚えていた。
 学生時代の研究会で最も興味を惹かれたのは日本の屏風絵だった。開くと一気にパノラミックな大画面のアートが出現する意外性が心を動かした。自然を描いて美の風情を楽しむ花鳥風月や禅の精神性を追求する水墨画は素晴らしかった。
 だがこの『京都の町の内外の眺め』の屏風絵は全く異質の作品だった。
 彼が何より驚いたのはその”騒がしさ”だ。
 古いミヤコの情景をダイナミックに描写した絵師は、日本画の特徴のひとつである心の平静さなど求めていなかった。二千数百人にものぼる登場人物はお互いに視線をからませながら、その欲望を満たす機会をうかがって生き生きと動いている。見入っていると喧騒が聞こえてくるような現在と変わらない都会の猥雑さがあった。
 指導してくれた教授の、このアーティストの作風は、のちの浮世絵へと発展していく原点であるとの指摘が印象に残っている。
「マーカスさん、僕はこの屏風、知っていますよ」
「まさか。主人がこの屏風をジュリエットさんにお売りしたのは私がマーカスと結婚した年だから1962年よ。それ以前から随分長い間、店にあったと聞いたわ」
「あ、いや、写真のではなく、全く同じ屏風を本で見た記憶があるんです。東京の博物館が今も所蔵している有名な屏風ですよ。ですからこちらにあったのは同じ作者か、或いは弟子たちが協力して製作したレプリカのようなものだったんじゃないですか」
 マコーミックも昨年のクリスティーズのオークションで、古い南蛮屏風のレプリカが大きな話題になったのを覚えていた。
 カテリナは今ひとつ納得いかない表情だった。
「で、この屏風がどうかしたのですか」と尋ねる。
「正直なところまだ分からないのです。なかなかご協力いただけなくて」
「ことにあの弁護士のウインストンでしょう。何のかのと文句をつけるのよ。自分のものでもないくせに」
 マコーミックは曖昧にうなづいておいた。
「屏風はジュリエットさんのアパートメントに入ってからは誰の眼にも触れてないんでしょうね」
「そうね。あ、ひとり日本人が見てるわ」
「日本人?差し支えなかったら教えてくれませんか」
 マーカス商会を閉めてしまうのでなければ、いかにカテリナと言えども商品の購入先であるサプライヤーの名前は口が裂けても洩らさなかったろう。
 それでも彼女は一瞬迷ったが、肩をすくめるとあっさり答えた。
「ミスター・モリモト。日本の京都にあるタニヤマという同業の店のひと」
 マコーミックの動悸が早くなった。エミにはまだ資産家がジュリエット・クレーンだとは明かしていないが、明らかに彼女はこのことを知らない。
「もう少し詳しく話してもらえませんか」
 カテリナは腹をくくったのか、イタリアなまりでせきを切ったように喋り始めた。
「マーカス商会とタニヤマの共通点を知っている?」マコーミックは首を振った。
「西と東で十九世紀に開業し二十一世紀まで続いている日本美術を扱うギャラリーだということ。こんな店は他に世界にはないのよ。西のアメリカの方はもうすぐ消えてしまうけど、東の日本には頑張ってほしいな」
 カテリナは流石にしんみりとしたが、気を取り直した。
「私は両親に連れられてイタリアから移住してきたの。ラッキーなことにマーカス商会ですぐ働き出すことが出来た。マーカスは西部の保安官のようなぶっきらぼうな喋り方をする大男で最初はとても怖かったけれど、すぐシャイで優しい人だと分かったわ。数ヶ月売り子として働いた後で、プロポーズされた。彼、再婚だったので、随分ためらったらしいわ。男の子もひとり生れたし、その頃が一番幸せだった。商売も上手くいっていたのよ、昔からのお客様が大勢おられたし。タニヤマも似た状況だったんじゃないかしら」
 カテリナは一息入れた。
 マコーミックは早くモリモトの話を聞きたくてウズウズしていたが、彼女の機嫌を損ねたくなかったので黙っていた。
「タニヤマとの取引はずっと昔からあったみたい。お祖父ちゃんの時代からかもしれないけれど、さすがに分からない。マーカス家の男達は結構長寿なのよ。確かタニヤマの二代目もそうだったと思う。とにかく私がこの店に入った時にはすでに親密な間柄だったわね」
「キョウトの『タニヤマ』へは行かれたことがあるんですか?」
 カテリナは首を振った。
「私は一度も。昔は主人が買い付けのために毎年のようにキョウトへ行っていたけど、二十年ほど前に止めてしまった。円高もあるけど、品物が少なくなる一方でね」
 マコーミックはうなづいた。国の経済力が回復すると、売れ筋の古美術や骨董はすぐ市場から姿を消してしまうのである。
「当時のコミュニケーションはすべて郵便よ。国際電話は高かったし、FAXも勿論ないしね。手紙を書くのは私の役目になった。タニヤマ側の手紙の担当がモリモトだったの。多分英語は彼が一番達者だったからじゃない。すごく分かりやすいクリアな手紙でユーモアもあり、私達はすぐファースト・ネームで呼び合う仲になった。イスケと言うのよ」
 カテリナはアルバムから一枚の小さな写真を探し出した。真ん中に若いカテリナを挟んで左に大きな白人、右に温厚そうな日本人が写っている。
「マーカスと私が結婚した1962年に、お祝いを兼ねてイスケがサン・フランシスコに出張して来たの。その時の写真。勿論どちらがイスケか分かるわね」カテリナは笑いながら言った。
「出張はジュリエットさんへの屏風のことで?」
「いいえ。それは偶然。出張の主な目的は私達が在庫に抱えていた幾つかの屏風のタッチ・アップだった」
「タッチ・アップ?」
「古い屏風の絵は鉱石や蛤の粉末をニカワで溶いた絵の具を使って描かれているのはご存知?そう、だから年月が経つとどうしても剥脱してくるところが出てくるわけ。ことに金地はね。イスケはそれをタッチ・アップ、つまり修復して復元するのがプロ並み、というよりむしろ本職の絵描きより上手かったの。彼がタッチ・アップすると本当に剥脱したところが分からなくなったわ。面白いことに彼の技術は日本ではあまり評価されないのよ。彼らの美意識では絵の具が落ちているところも、それはそれで『景色』であると認めるのね」
「あ、カテリナさん、その感覚、僕は理解出来ます。どちらかと言うとタッチ・アップは嫌ですね」
「あら、そう。そんなことを言うアメリカ人は初めてだわ。それはともかく、イスケが私達の屏風の仕事を済ませて、帰国の支度をしていた日にジュリエットさんからコンプレインの電話があったの。私達が売ったラクチュウ・ラクガイの屏風にかなりの数の剥脱があると言うのよ。結構高額のビジネスだったので、キャンセルにでもなれば大変なことになっていたわ。マーカスも私も頭を抱えているとイスケが助け舟を出してくれた。費用さえ出してくれれば自分がニューヨークへ行ってタッチ・アップしてもいいと言うのよ。あんなに喜んだマーカスは見たことがなかったわ。ジュリエットに連絡すると、仕事が出来る部屋は用意するから、来て欲しいとのことだった。イスケは国際電話で京都のタニヤマへ事情を説明して、すぐニューヨークへ飛んだの」
「うまくいったんですか」
「そうみたい。だってイスケは仕事が済んだらそのままニューヨークから帰ってしまったの。後から、女主人には会えなかったが、アパートメントに部屋が用意してあって快適に仕事は出来た、完璧にタッチ・アップしたから心配しないでと手紙が来たし、ジュリエット自身からも、とても上手に修復してもらって嬉しいと感謝の電話があって、びっくりするような額面の小切手を送ってきたわ。有難く頂戴しておいたけど」
「それだけ?」
「それだけよ」

 マコーミックの膨れ上がった期待は、あっと言う間にしぼんでいった。
 屏風の正体が分かったのは収穫だったが、モリモトの話にはあまり興味を引かれるところがなかった。なにより彼はちゃんとタニヤマに説明してニューヨークへ行っているし、ジュリエットにも会っていないらしい。
 京都へ帰ったら当然屏風のことは報告していたはずだ。若いエミがそんな半世紀近くも前の出来事を知っているとは思えないが、彼女には資産家の名前は明かしておいた方が良かったかなとマコーミックは後悔した。
 テーブルのアルバムを、「いいですか?」とカテリナの許可を貰い、彼はページをめくった。
 眼に留まったのは頻繁に出てくる木製のミニチュアらしい日本の建造物の写真だった。城や御所があるかと思えば歌舞伎小屋や御茶屋、普通の民家から小間物屋まであらゆる建物が揃っている。
「模型の日本の家が沢山ありますね。好きなコレクターがおられたんですか」
「ジュリエットよ」
「彼女が? これ全部?」
「そう。全てタニヤマで特別に造らせたものです。人形を入れる為に障子や襖のサイズを細かく指定してくるから大変だったわ」
「ドール・ハウスの日本版ですね」
「設計図から起こして、あれこれ注文したり、変更するので、早くて一年、長いのは二年以上掛かったのもあったのよ。イスケも苦労したと思うわ」
 そのペースでこの数のドール・ハウスをこなすには長い年月が必要だろう。道理でジュリエットとマーカス商会との連絡が飛びぬけて多かったのだ。
「最後の注文が隠居所のような平屋の一軒家だった。欄間の彫刻や襖の絵、床の間の柱まで普通以上に細かい注文でね。完成したのはやっと二年ほど前かな。すぐ送ったけど、簡単なお礼の電話があったきりで、それきり連絡はなくなったの。お金はあのクソ(fucking)弁護士が手配してくれたけどね」
 もうかなりの高齢だったジュリエットが、出来上がったばかりの隠居所で遊ぶ機会はあったのだろうか。
 カリフォルニアとコネチカットに宮殿のような大邸宅を持ちながら一度も訪れず、小さな模型の日本風のドール・ハウスに注ぎ続けた情熱はどこから沸いて来たのかとマコーミックは不思議だった。

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