小説

貿易屋、恵美の大冒険-マンハッタンに眠るジャパニーズドールと謎の屏風-第6章-

第六章

「谷山」の事務室では事務机が片付けられ、空いたスペースに高さは百七十センチ近い、堂々たる一双の金屏風が広げられて起っていた。

 貴人から物乞いまで、あらゆる階級・職業の男女、約二千五百人が洛中に躍動する絢爛たる時代絵巻が圧倒的な迫力で描かれている。

 それは雅やかなと愛でられる京都ではなく、騒がしく、殺伐で、生々しい欲望に満ちた四百年前の都の姿である。

 一同は声もなく見入っていた。

「構図は全く同じやね。筆力も遜色ないし、金箔も古いから、作者の工房で同時期に製作されたものと考えていいね。屏風の状態はこちらの方がはるかにいいが・・・・・伊助さんがタッチ・アップした頃と変わっている?」

 浩二が伊助に話しかけた。

「いや、そのままやと思います。そやけど、どこをタッチ・アップしたか、自分でも分からへんわ」 浩二と恵美が短く笑った。

「こういうレプリカは、その頃、よく造られたんですか?」

 アイリスが浩二に尋ねた。

「屏風はオーダー・メイドで、本来は一点ものです。権力者やお金持ちの趣味、趣向に合わせて造られたんですよ。でも、こういう誰が見ても分かりやすく、面白いテーマは当然大評判になって、人気があったはずです」

「では、私も欲しいという人間がー」

「ー出てきても不思議はないですね。画家は必ず粉本という下絵、機械で言えば設計図にあたるものを持ってますから、同じ物はいくらでも描けますね」

「あとは信義の問題ですか?」

「それよりも、金でしょう。昔も今も、金を積まれれば、人間は弱いですよ。ましてこの時代は、絵師はアーティストというより、職人に近かったですからね。例えばこの屏風でも、岩佐又兵衛の作とは言われていますが、銘は入っていないぐらいですから」

「東京の博物館が所蔵しているのは重文でしょう。同じようなものが見つかって、しかも状態が良いとなれば、どうなるんです?」

「そいつは悩ましい問題ですね。舟木屏風も近々国宝に指定されそうですが。ま、先生方がこれからじっくり検分されてからのことですな」

「ちょっと近くで調べさせて貰ってもいいですか」

 ジリジリしながら待っていたマコーミックが、堪えきれなくなって浩二に声をかけた。

「あ、そうだった。どうぞ。我々も一緒に調べます」

 浩二、恵美、伊助、マコーミックに竜介とアイリスまで加わり、屏風を閉じたり、横にしたりして、必死に何らかの痕跡が残ってないか調べた。

 三十分後、全員がガッカリした表情で顔を見合わせた。

「マコーミックさん」

 伊助が気の毒そうに声を掛けた。

「西村は明らかにこの屏風の表側も裏側もヘラは入れてまへん。触ってないですわ」

 マコーミックはガックリ落ち込んだ。

 譲治が何度も後頭部に手をやるので、

「どないかしたんか、頭」と武田が訊いた。

「へえ、ちょっと転んで打ちましてん」

「転んだやて、後頭部やないか。どんなこけようしたんや。どんくさい奴やなあ、全く」

「すんまへん」

 カールとモニカはすまして武田美術館の館長室の窓から湖面に浮かぶヨットを眺めていた。

「タケダサン」

 カールが振り向いて言った。

「ビョウブヲ、ゼイカンマデヒキトリニイク、ツウカンギョウシャハシッテマスカ」

「ああ、スリースターズ言うてな、新門前の骨董屋はほとんど利用しとる」

「ドウナッテイルノカ、チョクセツキケバ?」

「ああ、そやな」

 カールに言われたのは面白くなかったが、それなら最新情報が分かるかも知れない。武田は受話器を取り上げた。

 恵美は未練がましく、まだ屏風の周りをウロウロしているが、マコーミックは沈痛な表情で考えこんでいた。

 伊助とアイリスは所在なげに、ぼんやりと突っ立っている。

 屏風に描かれた男女を、顔を近づけて丹念に見ていた竜介が、

「ねえ、浩ちゃん」

 面白そうに浩二を見た。

「うん?」

「この屏風、造られたのは、四百年ほど前でしょう。でも、これ、まるでアニメそのものよ。二千人以上いるらしいけど、一人一人の表情やしぐさが、とても丁寧に描かれ、変化があって面白いわ。ね、ここなんかお侍と遊女らしいのが、往来の真ん中でいちゃいちゃしている。しかもその横には、自分も仲間に入りたいくせに、勇気がなくて扇子で顔を隠して、見ているだけの侍もいる。横にセリフを書き込めば、まさに漫画」

 浩二も笑みを浮かべながら近づいた。伊助も気になるのか、ちらちらと視線を送る。

「そこは六条三筋町、当時の遊郭だよ。そう言えば、この屏風は、まさにアニメの大パノラマだね」

「でしょう! ほら、この東寺での法会の様子。多数のお坊さんと信者が、真面目にお勤めしている部屋の横では、生臭坊主が若い女とヨロシクやっている。笑っちゃうわね」

「そうなんだ。この屏風の魅力は、絶妙な個々の人間描写にあるんだよ。この寺町を偉そうに歩く南蛮人と連れている洋犬の描写も軽妙だし、清水寺の舞台では、座頭が片足上げて芸をし、見物人からお銭をせびろうとしている。その側らでは、相思相愛らしいカップルが、人目もはばからず、手を取り合っているね。女の方は頭からかつぎを被っているけど、まるで・・・」

 突然、浩二が口をつぐんだ。どうしたのかと竜介が顔を見る。

 浩二はもう笑ってはいなかった。それどころか、見たこともないような厳しい表情をしていたが、そっと伊助の方を見た。ずっと浩二をうかがっていたらしい伊助は慌てて目をそらす。

 浩二がもう一度屏風に視線を戻した。

「どうかしたの?」

 竜介も浩二が見詰めている舞台の上のカップルを見た。別に変わったところはない。

「男は商人よね。あれ? かつぎからのぞく女の髪の毛の色がー」

「そうだわ、ひょっとしたらー」

 突然、恵美が声を上げ、みんなが目を向けた。

「私たち骨組みの中空のスペースばかり調べてたけど、木の骨そのものは?」

 興奮した恵美が日本語で喋っているので、アイリスがマコーミックに通訳する。

「だけど、恵美ちゃん、木の骨組み自体には本紙や裏地が糊付けされてるやないか。何処にもめくったり、細工した跡はなかったで」

 伊助が言った。

「ところが細工しても、その跡を隠せるところがあるの」

 恵美はつかつかと屏風に近寄って、

「この下」

 と屏風の周囲に取り付けてある黒い枠縁に触った。

「そうか」

 浩二が眼を輝かせた。急いでマコーミックに説明する。

 絵が描かれている表側の本紙も裏側の裏地も木の骨組みの端で折り曲げられ、糊付けされている。その上に黒塗りの枠縁が釘で止められているのだ。襖と同じである。

 希望が出てマコーミックは元気付いた。

「ではこの黒枠を外せば何か細工が見つかる可能性があるんですね」

 アイリスは首をかしげた。

「でもこの屏風の縁の幅って二センチもないわよ。こんな細いところに何が隠せるの」

 恵美が眉毛を寄せて考える。

「たとえば宝石類とか、それも・・」

「ダイヤモンドだ!」

 マコーミックが叫んだ。

「ダイヤモンド?」

「思い出した。クレーン家には『ナイルの虹』と呼ばれるティアラがあるんです」

 マコーミックが興奮して早口でまくし立てる。

 英語の不得手な竜介には浩二が説明している。

「これにはね、世界でも稀有なファンシー・カラー・ダイヤモンドが十二個もついていて、価値は二千万ドルはすると言われています」

 屏風を見ながら、マコーミックはウロウロ歩き廻った。

「この屏風はペアでパネルの数はちょうど十二ですね。ダイヤモンドをティアラから取り外し、一個ずつ木枠に忍ばせればX線検査でも目立たないでしょう」

「どうやら話が見えてきたようやな」

 浩二が嬉しそうだ。

「確かめるには、黒枠を取ってしまわなあきまへんで」

 伊助がポツリと言った。

 武田が受話器を激しく叩き付けた。

「くそっ」

 顔をゆがめてはき捨てる。

「スリースターズは一時間以上も前に「谷山」に届けた言うとる。谷山本人が受け取ったそうや。なんで連絡してきいひんのや!」

 もう一度受話器を取り上げたが、すぐ元へ戻した。

「こっちから出掛けていったる」 

 立ち上がって譲治に言いつける。

「おい、若いのをふたり連れて来い」

 カールとモニカを見た。

「一緒に来るか」

 ふたりはすっと立ち上がった。

「車を二台出せ」

 浩二は考え込んでいたが、伊助に尋ねた。

「どうや、上の枠縁一本、分からんように外せるか?」

「古い枠縁やからごまかせますけど、武田はんに黙ってそんなことしても大丈夫でっか?」

「取り外してみて何もなかったら元へ戻して、マコーミックさんにはあきらめて貰おう。もし何か、例えばダイヤなりが見つかれば・・」

 浩二はアイリスを見た。

「立派な関税法違反です。すぐ警察に連絡します」

「分かりました。ほんならやりまひょう」

 伊助は道具を取りに急いだ。

「浩二さん、ありがとうございます」

 マコーミックはホッとしたように言った。

 琵琶湖湖畔の武田美術館から黒とグレーの二台のベンツが飛び出し、猛スピードで京都へ向かった。

 伊助は屏風をたたむと、事務机に斜めに寝かせて立てかけ、慎重に黒枠を外しにかかった。

 出来るだけ無用の痕跡を残すまいと伊助は必死で取り組んでいる。額には大粒の汗が浮かび出した。 

 アイリスはマコーミックを見た。硬い顔で両手を握り締め、食い入るように見詰めている。彼にとっては残された最後のチャンスだろう。

 対照的に興味津々と楽しげなのは恵美だ。

 浩二の眼には動揺がある。武田の屏風に無断で手を入れているのが不安なのに違いない。

 やっと黒枠が外れるとみんながいっせいに覗き込む。

 ふうっーとそろってため息が出た。

 明らかに何の細工のあとも残っていない。本紙や裏紙が折り込んで貼ってあるだけだ。

 浩二が気の毒そうにマコーミックを見て、首を振った。

 武田の車は蹴上を過ぎ、三条通りに入って渋滞につかまった。

「クソッ!」

 武田が助手席を蹴り上げる。

 衝撃を受けても、助手席に座っている譲治は身動きひとつしない。

 

「枠が違っているのかも」

 恵美がぽつりとつぶやいた。

「枠が違うとは?」

 浩二が言った。

「浩二さん、探しているのは、とんでもなく高価なダイヤかもと私たちはボブから聴いた」

「ウン」

「屏風は立てておくものでしょう。だから無意識のうちに、隠されているなら上の枠と思い込んでいたんやないかしら。下枠は床に接している底やものね。でも埋め込んでしまえば、実際は上も下もない。西村さんなら、そう考えない?」

 なるほどというようにうなづいた浩二は、伊助を見る。

「もう一本、底側のを外すんでっか・・・・・どうかなあ、さすがに目立ちまっせ」

 伊助はしぶい顔をした。

 アイリスから話を聞いたマコーミックは、伊助に飛びついた。

「イスケサン、プリーズ、プリーズ、ラスト・チャンスデス。ドウカ、オネガイシマス」

 伊助は、浩二と恵美の顔をうかがってから、あきらめたように屏風をくるりと逆さまにした。

「イスケサン、アリガトウ、アリガトウ!」

 武田の車はやっと渋滞をぬけ、東大路に入ってスピードを上げた。

 「谷山」はもうすぐだ。

 武田は座りなおした。

 

 屏風の底に当たる枠は、常に床に接しているだけに所々はげており、細かい傷も多いので、かえって仕事がしやすい。伊助は上枠より、はるかに容易に枠を外すことが出来た。

一見して何も無いように見える。だが中央に本体とは色合いが少し合わない小さな丸い木が埋め込まれていた。寸分の隙もないきちっとした細工でまったく目立たない。

 部屋は静まり返り、みんなが息を呑んで見詰めている。

 伊助が浩二とマコーミックを見た。

「外しまっせ。よろしいな」と念をおした。

 ふたりがうなずいた。

 何が入っているにせよ傷つけないようにと伊助はより慎重に細い錐で埋めこまれた丸い木を少しずつ取り除いていく。

 次第に丸いゴムのようなものが現れてきた。クッション代わりらしい。伊助はゆっくりと取り除いた。

 何とも言えないほど美しいピンク色のダイヤモンドが木枠の中で光っていた。

 その時、表のドアが開くチャイムが聞こえた。

 恵美が見に行こうとした時に、野太い声が響いた。

「こんにちは。谷山さん、おるか?」

「武田だ!」

 浩二が蒼白になった。伊助は咄嗟に黒枠を手に取ったが、どうして良いか分からず、ウロウロする。

 恵美は素早くゴムのクッションをダイヤに被せた。

 同時に事務室のドアが開いて、武田が顔をのぞかせた。

 人が多いので、驚いている。

「ゴメンよ。えらい賑やかやな」

 武田は屏風に目を止め、入って来た。

「おお、これかいな」

 と満面をほころばせるが、伊助が待つ黒枠を見て笑顔が消えた。

 続いてカール、モニカ、そして譲治が入って来る。

 恵美は昨夜、自分を襲った男に気がついてびっくりした。何と武田の部下だ。

 譲治も驚いたようで、顔がゆがんだ。さりげなく武田の背後に身を寄せる。

 カールとモニカの視線はマコーミックらに吸い寄せられた。

 モニカがカールにささやく。

「They were kissing at the temple last night」(昨夜キスしてたヤツらよ)

「I know」(分ってる)カールが低く答えた。

 マコーミックは激しい敵意を込めてふたりを睨んでいる。

 恵美はマコーミックの表情で白人の男女が問題のカップルに違いないとピンときた。

 目の前に殺人者がいるのだと思うと背筋がゾクッとする。

 武田が伊助に近づいた。

「これはどういうことかいのう」

「あ、武田さん、お知らせするのが遅れてすみません。今、届いた屏風をチェックしてましたら、ちょっと黒枠が外れまして、そ、それで何とか直せへんもんかと伊助が・・」

 浩二が慌てて答えた。

「枠が外れた?」

 武田はいかにも不審そうな表情をした。

 じろじろとむき出しになった木枠と飛び散った小さな木屑を見つめている。

「ああ、ご主人、奥さん、昨夜はどうも有り難うございました」

 張り詰めた空気を吹き飛ばすような明るさで竜介がカールとモニカに声を掛けた。

 竜介に気が付いたふたりは仕方なく笑いを浮かべてうなずく。

 びっくりした武田は竜介とカールらを交互に見た。

「え、昨夜一緒やったんかいな」

「はい、浩二さんの友人の堀と申します。おふたりにワインをご馳走になりまして」

「ワイン?」

 譲治が武田の耳元に口を寄せた。

「館長、わし、外で待ってます」

 そのまま出て行こうとする。

「こら、待て。ここにおらんかい」

 武田が叱り付けた。

「あ、そこのお兄さん、昨夜は失礼しました。頭のお加減は如何ですか」

 竜介は同じように屈託なく譲治にも話しかける。

 武田は譲治を険しい眼で見た。

「何でこの人がお前が転んだのを知ってるねん」

「転んだやて」

 恵美が笑ってつぶやき、譲治が憎々しげに睨みつけた。

「このねえちゃん、お前のこと、笑っとるやないか。どないなってるねん」

 武田はカッカし始めた。

「I know what you did in New York, Carl」(ニューヨークでやったことは分ってるぞ、カール)

 マコーミックがカールに言った。

「So you know my name. O.K. Tell me what you have 」(俺の名前は知ってるんだな。オーケー、聞かせてくれ)

 カールは平然としている。

「You killed the detective near Penn station. And Monica, you made a big mistake when you killed the Japanese artisan」(ペン駅の近くで刑事をヤッただろう。モニカ、お前もだ。日本の職人を殺した時に大きなミスをしてるぞ)

 マコーミックの語調は厳しくなる。

「You are not a cop. Fed, ha? What can you do in Japan」(デカじゃねえな、FBIだろ。日本で何が出来るんだよ)

 カールはあざ笑った。

「カール、こいつは何者や? お前の名前知っとるみたいやないか」

 武田がイライラして尋ねた。

「FBIダ」

 短くカールは答えただけだった。

「FBIがお前に何の用や?」

 カールはマコーミックを見据えているだけで返事をしない。

 真っ赤になった武田はキレた。

「コイツらべちゃべちゃ訳の分らんことを勝手にしゃべりやがって。ここは日本や、日本語以外しゃべるな!」

 部屋が静まり返った。

 アイリスが懐からバッヂを出して武田に見せ、落ち着いた口調で語りかけた。

「私はFBI日本支局のタナカです。こちらはニューヨーク支局のマコーミック。彼はカールがニューヨークで刑事を殺し、モニカも日本の職人を殺したが、ミスをしたと言っています」

 武田はショックを受けたように黙り込んだが、冷静さを取り戻すのも早かった。

「谷山はん、屏風は黒枠が外れてるだけやな」

「そうです」

 浩二の顔はまだ青白い。

「他に問題は?」

「ありません」

「間違いないな」

 武田は念を押した。

「はい」

「ほんならこのまま屏風を持って帰っても文句おまへんな。外れた枠はこっちで直します」

 一瞬、躊躇したが、浩二はうなずいて言った。

「どうぞ。お持ちください」

 恵美はマコーミックを見て小さく首を振り、仕方がないと目を伏せた。

 武田は譲治に命じた。

「お許しが出たんや。さっさと屏風を積んで引き上げよう。谷山はん、請求書は送っといて」

 譲治はもじもじしている。

「積めまへん」

「ふん?何やと」

 譲治は低くささやいた。

「ベンツで来てますやん。二台とも」

「―」

「こんな大きなもの、持って帰ると思いませんでしたし」

 静かな室内では会話は良く通った。武田がどう出るか、浩二と恵美はかたずを飲んだ。

 武田の間隔の広い目は譲治を通り越して遠くを視ていた。

 浩二に顔を向け、「谷山はん、ちょっと」と近くへ呼び寄せる。

「お聞きのようにこのアホのせいで持って帰れへん。今日はこのまま引き上げますわ」

「あ、そうですか」

 浩二はホッとした。

「そやけど、わしもこの屏風は一刻も早く欲しいねん。お宅とこの車、バンやったな。これから美術館の方へ届けてくれるか」

「はい。後ほどすぐに」

「そうか。それで片がつくわ」

 武田は浩二の肩に親しげに手を回し、顔を寄せて低い声で言った。

「問題はなあ、ヤンキーの奴らや。FBIの若いのは血の気が多そうやし、このカールもキレたら何をするか分らん。お互いここで修羅場になるのは嫌やろ」

 浩二は大きくうなずいたが、武田が何を言い出したのか掴みかねていた。

「そやからな、あんたはわしらと一緒に来て欲しいねん」

 浩二の肩を抱いた手に力を入れて引き寄せた。

 恵美の顔色がさっと変わった。

 武田の目配せでカールが素早く浩二の脇に来た。マコーミックが動こうとする瞬間にアイリスがぐっと腕を掴んだ。

 目を合わせると、ダメと小さく首を振る。

「何でですか。どうせ屏風持ってすぐ追っかけますけど」

 浩二は顔を強張らせている。

 武田は鼻先で笑った。

「谷山はん、わしそこまで馬鹿やないで。よし、こうなったらお互い腹をわって話しようや。わしは何であんたらが何の得にもならんのに、FBIに協力するのか分らん。ところでこの屏風はちゃんと正規に輸入したわしの所有物やで。この若造は屏風を調べる時も指一本触れることが出来へんだはずや」

「それは屏風の構造を良く知らないから・・」

 伊助は言ってから、しまったと慌てて口をつぐむ。

「相変わらずバカ正直やなあ、伊助はん。そこでや、こいつの唯一のチャンスはこの状態であんたらにポリを呼ばして密輸入の証拠物件にしてしまうことやった。どや、当たっとるやろ」

 アイリスの通訳を聞いて、マコーミックは唇を噛んだ。

「せやから、谷山はん、あんたには一緒に来てもらわんならんのや。わしらが帰った後で妙な気を起さん保険やな」

「武田さん、私が代わりに行きます。浩二さんは放して下さい」

 恵美は声を振り絞った。

「恵美、ダメだ!バカなことを言うな!武田さん、分った。自分がご一緒します」

「いやや。浩二さん、私が行く!」

「おねえちゃん、えらい感動的なシーンやけど、ここは谷山はんやないとアカン」

 武田がびしりと言った。

「じゃ、私も一緒に行きます」

「タケダサン、ホケンハオオイホウガイイ」

 ニヤニヤしながらカールが言う。

「それもそうやな」

 武田がうなづいた。

「武田さん、彼女は連れて行かないで。お願いします」

 浩二が真剣な顔で訴える。

「ああ、もうふたりとも何を大そうな。琵琶湖までのドライブみたいなもんやないか。決定!」

 武田が突き放した。

ーこんなに浩二を愛してるのかー

 恵美の健気な姿を見てマコーミックはショックを受けていた。

 武田は伊助を見た。

「伊助はん、分かったな。あんたはバンにこの屏風を積んで追っかけて来てくれたらええ。ただし来るのが遅れたり、おかしな行動したら、このヤンキーは何をするか分らんぞ。あんたも谷山家を潰しとうないやろ」

「わしひとりででっか。運転もそんなに自信ないし」

 伊助は不安そうである。

「僕で良かったら行きますよ」

 竜介が申し出た。

 譲治が、「あいつは止めた方が」と言ったが、武田は無視した。

「そら、助かるわ。すんまへんなあ。伊助はん、FBIは絶対あかんで。ちょっとでも姿が見えたらわしは知らんぞ」

 浩二と恵美を囲むように武田らは事務室を出て行く。

 竜介はカールとモニカに、

「おふたりさん、また後で」

 と陽気に手を振ったので、ふたりも思わず手を振り返してしまった。

「けったいなヤツやな」

 武田がつぶやいた。

「申し訳ありませんが、協力させていただくのはこれまでですわ。おふたりに何かあったら、私はホンマに腹を切らんならん」

 伊助は深々とマコーミックに頭を下げた。

「勿論です。無理なことをお願いしたばかりに、浩二さんや恵美さん、それに貴方にまで迷惑をかけてしまって、本当にすみませんでした」

 マコーミックとアイリスも頭を下げる。

「とにかく私は車を取ってきます」と伊助は急いで事務室を離れた。

「カールとモニカをご存知だったんですか」

 マコーミックが竜介に尋ねた。アイリスが通訳する。

「はい。昨夜レストランで隣り合わせになりました。スミス夫妻とか言ってましたが」

「ふたりとも冷酷な殺人犯ですから気をつけて下さい。ニューヨークで男は刑事を、女は表具師のニシムラさんを手にかけてます。何のためらいもなくね」

「ああ、浩ちゃんからその話はチラッと聞いてます。でもとても楽しいカップルでしたけどね」

「見かけに騙されてはダメです。実は私たちも昨夜は同じレストランの二階にいたんですよ」

「へえ、そうなんですか」

「レストランを出てから奴らを寺までつけていったんですがね。何かそこでバタバタして見失いました」

「ひょっとして花見小路の突き当たりにある門を入った寺ですか?」

「そうですよ」

「じゃあ、僕をつけてたんだ。妙に女の方が色目を使うなとは思ってたんだけど。、夫婦そろって何考えてんだよ」

「武田の用心棒らしい男にも声をかけてられましたね」

 アイリスがいぶかしそうに訊く。

 竜介は軽く首をすくめた。

「そのバタバタした原因をつくった男ですよ。そうか。するとあいつは武田のところから、夫婦をレストランまで送ってきて、境内をぶらぶらしていたんだな」

 浩二と恵美は武田と同じ車に乗っていた。恵美はしっかりと浩二に寄り添っている。

 譲治がカールらと一緒の車だったので、ホッとしていた。

 武田は「谷山」を出るとすぐ美術館に電話し、臨時休館にして一般の事務員らは帰宅さすように命じた。

 そのまま一言も喋らず、むっつりと考え込んでいたが、こらえ切れなくなって口を開いた。

「谷山はん、飛んだことになったな。素直に屏風を渡してくれてたら、どうってことない話やったやないか。そもそも人の品物を承諾なしにいじったり、勝手に第三者に見せるのは業者としてルール違反やろ」

 浩二は頭を下げた。

「そのことに関しては弁解の余地はないです。申し訳ありません」

「待って下さい」

 恵美は必死だった。

「みんな私の責任です。浩二さんは悪くありません。あのFBIは私の友人です」

 車を運転していた若者がびっくりしたようにバック・ミラーで恵美を見る。

「おねえちゃんの友人やて? あんたみたいに若い娘がなんでFBIに縁があるねん。ええ加減なこと言うたらアカンで」

「嘘じゃないです。西村さんがニューヨークで殺された時、奥様と遺体を引き取りに行って知り合いました」

 武田は絶句し、窓の外へ視線を這わせた。                                                

 恵美は何故武田が衝撃を受けているのか分らなかったのが、とにかく話を続けることにした。

「あのFBIの人、マコーミックと言うんですが、私たちの泊まっていたホテルまで訪ねて来て、色々教えてくれました。怪しいカップルがいて、その女性の方が西村さんの殺害に関わっている証拠があるらしいのです。ところがそれを知って女を追った刑事も殺されてしまいました。犯人はカップルの男性だとマコーミックは確信しています。彼はこのふたつの事件にはあの屏風が絡んでいて、その受取人が「谷山」ならカップルも京都だろうとやって来たのです。先ほど女性のFBIが説明していたのはそういうことです」

 恵美は一気に喋った。

 武田は黙って聞いていたが、大きくため息をついた。

「ええい、くそっ! やっぱりそうやったか」

 血走った眼をふたりに向ける。

「とにかくこうなったら伊助はんがちゃんと屏風を無事に届けてくれるよう、お互い祈ろうやないか」

 カールとモニカは同乗しているのが英語の分らない譲治だったので、気兼ねなく相談出来た。

「あのFBI、昨夜レストランのトイレで会ったよ」

 いまいましげにモニカが言った。

「そこから寺までつけて来たのか。レストランで出会ったのは偶然だな。だがどうして俺たちのことを嗅ぎ付けやがったのかな」

「やっぱり、クレーンのとこからあたりじゃない。そこしか考えられないよ」

 カールはうなずいた。

「こいつは急いだ方がいい。タケダに出来るだけ金を出さして高飛びしよう」

「慌てることないじゃないか。あんな若造のひとりやふたり」

「FBIをなめるな」

「だって屏風を手に入れてダイヤさえ始末しちまえば何とかなるんだろう」

「タケダはな。俺たちは偽名で偽のパスポートだ。FBIがこっちの警察に手配してみろ。引っかかって指紋照合されたら、NYPDが喜んでお前を引き取りに来るぜ」

「分ったよ」

 モニカは嫌な顔をした。

「それでどうするんだよ」

「俺に考えがある。やつがよく娘も人質にしてくれたもんだ」

「あのビッチかい」

「そうさ。まあ、見てな」

 マコーミックらも手伝って屏風をバンに積み込んだ。

 それじゃと車に乗ろうとする伊助にアイリスが声を掛けた。

「イスケさん。私たちもタクシーで後を追っかけます」

 伊助は激しく手を振った。

「それはアカン。絶対止めてくれ。武田が言ったことを聞いてたやろ。ぼんや恵美ちゃんを危険にさらすことは出来ん」

「あ、我々は美術館には行きません。イスケさんがこの辺と指示して下さった地点でタクシーの中で待機しています。無事におふたりを連れて戻って来られたら合流して帰りましょう」

 伊助はそれでも渋い顔して迷っている。マコーミックが言った。

「タケダはともかく、気になるのはカールとモニカのふたりです。私たちを見たので危機感を待っているのは間違いない。万が一手に負えない様な事態が発生した場合、アイリスの携帯を鳴らして下さい。喋る必要はないです。すぐ警察に連絡し私たちも駆けつけます」

 伊助はしばらく考えていたが携帯を取り出し、アイリスと番号を交換した。

 マコーミックはアイリスに何事か言い、彼女は竜介に通訳した。

「彼が言っています。カールはナイフの使い手だから、絶対手は出さないように」

「オーケー、オーケー、ダイジョウブ」

 竜介はにっこりしてマコーミックに指でVサインを作って見せた。

 マコーミックは何故彼がこんなに気軽で、緊張していないのか分らなかった。

 竜介は勿論警戒心は持ったが、心のどこかで高をくくっていた。間もなく彼は実戦で鍛えたナイフさばきと道場育ちの違いを身を持って知ることになる。

 武田美術館のいささか悪趣味とも言える二階建ての瓦葺の建物は琵琶湖の東岸に建っている。

 一階は強化プラスチックの石垣を正面と左右に張り巡らし、湖の水を引き込んだ幅三メートルほどの堀で囲まれているので浮き城のようだ。

 正面の堀には左に一般入場者用の、右には車用の橋がかかっている。入場者用の橋はヨーロッパの古城に見られる有事には引き上げられるつり橋スタイルだが、見せ掛けだけで動かない。

 二階は普通の日本の城の造りだが、大きなガラス窓や中華風の赤い高欄がつけられている。屋根瓦をグリーンにすれば竜宮城、ネオンサインをつければラブ・ホテルとの陰口が大っぴらに交わされていた。

 一階の入り口からすぐ大きな展示室になり、主に武具関係の展示品が鑑賞出来るようになっている。展示室の奥のガラス・ドアを開けると湖に面したテラスに出られ、船着場があって、武田ご自慢の六人乗りのモーターボートが係留されていた。

 この美術館とは程遠いイメージの建物に二台のベンツが車用の橋を渡って地下の駐車場へと消えた。

 美術館に帰着するとカールは武田に緊急の話があると言った。

 浩二と恵美には若い者をふたりつけて展示室に案内させ、武田は譲治だけを呼んで、カールらと館長室に向かった。

「何やねん」

 武田は腰を下ろすなり訊いた。譲治は立ったままだ。

「ビョウブガツイテ、ブツヲカクニンシタラ、オレタチハスグタカトビシタイ」

「ふーん、そうか」

 さり気なく返事をしたが、武田は内心では小躍りせんばかりだった。これで疫病神とはおさらば出来る。ニューヨークのボスとは直接交渉すればいい。

「ダカラ、オレノホウシュウヲ、イマクレナイカ」

「いくらや」

「ヤクソクハ、ゴセンマン、ダロ」

「そんな大金、急には無理やで」

 カールは鼻で笑った。

「キンコニハ、イツデモ、ニオクヤ、サンオクアルトイッテタジャナイカ」

「ちょうど大きな買い物をしたばかりなんや。二、三日待ってくれたら用意出来るが」

 そんなに待てないだろうとふんで武田が強気に出ているなとカールはいまいましかった。

「ギリギリ、ヨンセンマンダ」

「三千五百万ならなんとかなるやろ」

「ズイブン、アシモトヲ、ミルンダナ、タケダサン。オレガ、ナガクオレバ、コマルノハソッッチダロウ」

カールの目つきに武田はいささか怯んだが、ここが勝負どころと見返した。

「イイダロウ」

 カールは表情を一変させ、にっこりして言った。

 やった、と武田は肩の力を抜いた。

「ヒトツ、タノミガアル」

「・・・?」

「モーターボートヲカシテクレナイカ」

「何処へ行くんや?」

「ナガハマダ。ソコカラ、レール・ウエイヲリヨウシテ、ニホンカイノホウヘデル。ボートハ、チャントアズケテオクカラ、シンパイスルナ」

 このタイミングでなかったら、武田はノーと言っただろう。提示した金額を相手が呑んでくれた以上、ここは要求を聞かざるを得なかった。

「分った。金は今用意する。ボートのキーは譲治から貰え」

 琵琶湖大橋を越えて湖岸沿いを七、八分走ったところで伊助がスピードを落とし、マコーミックらのタクシーもその後ろに続いて停止した。

 伊助が降りてタクシーに近づいた。

「ここを真っ直ぐ二分も走れば美術館ですから。ファンシーな建物やからすぐ分ります」

「分りました。伊助さんがおふたりと一緒に帰ってこられるのを待っています。お気をつけて」

 アイリスは冷静だった。

「おおきに」

 伊助は車に戻り、スピードを上げて走り去った。

 開いたアタッシュケースには一万円札がびっしり入っていた。

「勘定するか」

 武田が訊いた。

 モニカが眼を輝かせる。カールは首を振った。

「トンデモナイ。タケダサン、イツモマチガイナイデス」

 こいつの言うことはいちいちカンにさわるわいと武田はイラッとしたが、もう少しの辛抱だと気を落ち着かせた。

「ボートのキーです」

 譲治が差し出した。

「アリガトウ」

 ポケットに入れ、アタッシュケースをパチンと閉じた。

「長浜の船着場にキタヤマ・マリーナという店がある。そこにキーを預けといてくれ」

「OK」

 カールはうなずいた。このクソッタレは俺がバカ正直に逃亡ルートを喋ったと信じているらしいと可笑しかった。長浜に行く気なぞ全くない。近場の目立たない岸辺でボートを捨て、京都へ戻って新幹線で博多へ直行し、フェリーで韓国に潜入するつもりだった。

 ドアをノックして若い男が顔を出した。

「谷山からふたり、屏風を持って来やはりました」

「年寄りと色男だけやな」

「はい」

「他についてきてる車はなかったやろな」

「影も形もないです」

「よし。手伝って屏風を展示室に運んでくれ。気をつけろ。高い、高い屏風やからな」

 屏風は展示室の中央に一隻は開いて起たせ、伊助が黒枠を外した他隻はそのままの状態で鑑賞者用の背もたれのない大きな座席に寝かせてあった。

 部屋には浩二、恵美、伊助、竜介、それに武田の若いものふたりが押し黙って突っ立っていた。

 武田を先頭にアタッシュケースを提げたカール、モニカ、譲治が入って来た。

 武田は上機嫌だった。

「ご苦労さん。すぐ来てくれたんやな」

 つかつかと横にした屏風に近寄った武田は膝を着き、木枠にある丸いクッションを太い指で苦労して取り外し、覗き込んだ。カールも近寄った。

「アリマシタカ、タケダサン」

 武田はうなずいて体を起し、浩二らに向き直った。

「いやあ、谷山はん、皆さん、気を悪うせんといてや。色々あったけど、水に流してくれへんか」

 カールが武田に丸いクッションを、と手を出し、元に戻してくれるものと思った武田は手渡した。

「それなら、これで失礼していいですか」

 浩二が尋ねた。

 カールは膝を着いてクッションをはめ込もうとしている。

「当たり前や。おねえちゃんもスマンかったな。この埋め合わせはするから堪忍してや」

 カールが立ち上がった。

「おいっ!」

 譲治が鋭く声を上げ、全員がびくっとした。

「何や、大きな声出して。ビックリするやないか」

「館長、カールがその丸いものを戻す前に、そこから何か取り出しました」

 武田が慌ててしゃがみ込み、またクッションを取り外した。顔を上げた武田はカールを睨みつけながらゆっくりと起き上がった。

 カールは不敵に薄笑いを浮かべている。

「おい、どういうつもりや。ブツがあらへんやないか」

「アンタガ、ネギッタブンノ、ウメアワセダヨ」

「何やと」

 武田が凄みをきかせる。

 恵美が浩二をそっと突ついた。

「あ、武田さん、私たちは帰ります」

 とたんにカールが恵美の腕を掴んだ。

「オット、ネエチャンハ、ダメダ」

 恵美が振り払おうとしたが、カールはびくともしない。

「おい、その手を放せ」

 浩二が珍しく怒気をあらわに詰め寄った。

 マジックのような素早さでカールは懐からナイフを取り出し、恵美にピタリと突きつけた。

 浩二と加勢しようとした竜介が固まる。

「ソレイジョウ、チカヅクンジャネエゼ」

 油断なくふたりを見ながら武田に声をかける。

「十二コノウチ、タッタヒトツジャナイカ。ケチケチスルナヨ」

 武田は唇を噛みしめていたが、落ち着いた口調に戻って言った。

「分った。そいつは持って行け。だからその娘さんは放せ」

 カールは首を振った。

「コノネエチャンハ、ナガハママデ、ツキアッテモラウ」

「長浜?」

 浩二は武田を見た。

「こいつは何を言ってるんです」

 武田はバツの悪そうな表情になった。

「わしのモーターボートを貸したんや。長浜まで行って、そこから日本海側へ行くとぬかしとる」

 浩二はカールを睨みつけた。

「欲しいものは手に入れたんやろ。彼女を放してさっさと行けよ」

「ナガハマニツイタトタンニ、ハチノスニナルノハ、ゴメンダネ」

 絶対放さないぞとばかり恵美をぐっと引き寄せる。

 武田は色をなした。

「わしらは暴力団やないぞ。人聞きの悪いことを言うな」

「ホウ、ゼンゼン、カンケイナカッタデスカネ、タケダサン」

 武田はぐっと詰まった。

 浩二は一歩前に出た。

「彼女を放せ。代わりに自分が行く」

「ダメダ。オンナガイイ。オレハボートヲ、ウンテンスルカラ」

「では、一緒だ。これは絶対譲らない」

 カールは冷笑した。

「オヤサシインダナ。マ、イイダロ。ミョウナマネヲスルト、オンナガアブナイゾ」

「駄目よ、浩二さん」

 きりっとした口ぶりだった。

「長浜、長浜と言い過ぎてる。こいつは絶対人目に付かないところへ行く」

ーただでは済まないわよーと恵美の眼は訴えていた。

 武田が厳しい目つきになった。

 カールは驚いて恵美を見た。この娘はガッツがあって、頭がいい。しかもーいい女じゃないか。

 モニカにはカールの頭の中が手に取るように分った。腹立だしげに肘で背中をどやしつける。

「シンパイスルナ。オレタチモ、バカジャナイ。ブジニカエシテヤルヨ」

 モニカがアタッシュケースを持ち、カールが恵美にナイフを突きつけたまま、ゆっくりと裏手の方へ移動し始めた。

 浩二が気がかりそうに恵美をじっと見ながらついて行く。

 武田は腹をくくった。譲治を見る。

 彼は腋のホルスターから素早く拳銃を抜き出し、カールにピタリと照準を合わせた。

「動くな!」

 空気が一気に張り詰める。

「ダイヤはくれてやる。女を置いて、さっさと消えろ」

 武田のドスのきいた声が響いた。

「イヤダトイッタラ?」

「譲治の腕はいいぞ」

 恵美は息をするのを忘れている。譲治の銃しか目に入らない。

「ソレジャシカタガナイナ」

 いきなりバーン、と銃声が鳴り、恵美はびくっとした。

 譲治がポカンと口を開け、崩れるように仰向けに倒れた。シャツの胸に赤いしみが広がり始める。

 一瞬、何ガ起こったのか分らなかったが、全員がすぐモニカだと気がついた。

 銀のアタッシュケースを左手に提げ、腰に構えた右手のベレッタから硝煙が上っている。紅い唇を心持ちゆがめていた。

「チッ、チッ、チッ」

 カールが馬鹿にしたように首を振った。

「ジョーモカワイソウニ。アンタガイケナインダゼ」

 と青ざめた武田を見る。

 ふたりの若ものはすっかり怖気づき、茫然としていた。

 ガシャーンと凄まじい音がした。

 竜介が丸椅子でガラスケースのひとつを叩き割ったのだ。ぽいと丸椅子を投げ捨てると彼は手を入れて、展示品の抜き身の脇差を取り出した。

「あ、それは重要美術品の・・」

 思わず武田が声を出したが、じろっと彼を見た竜介の据わった目を見て口を閉じた。

 だらりと抜き身の刀を下げたまま、竜介はゆっくりとカールに近づいて行く。

「Carl」

 モニカが竜介から目を離さずに声をかけた。

 黙っていろとカールはナイフを持った手で合図し、恵美をモニカの方に押しやった。モニカはベレッタを彼女の顎の下にグイと押し付けた。

「Don’t move」(動くな)

 恵美の耳に紅い唇を寄せてささやく。

 引き金を引けば頭は吹っ飛ぶ。さすがに恵美は真っ青になった。

「ソウカ。オマエハケンドーヲスルノカ。ソレモ、ショート・カタナダナ」

 カールはゆっくりと間合いを計る。

「ふたりを放しなさい。さっさと行けばいい」

「ソウハイカナインダヨ」

「僕はあなたを傷つけたくない」

「ヤッテミロ」

ーこら、アカンー

 伊助は震える手で携帯を取り出した。注意を向けるものは誰もいない。

 アイリスのナンバーはセットしてあるので、発信を押すだけだ。

「伊助よ」

 アイリスは短く告げた。

「ゴー、ゴー、ゴー!」

 マコーミックは助手席を叩き、運転手を怒鳴りつける。

 タクシーは急発進した。アイリスは県警の出動を要請する電話を掛け始めた。

 カールは姿勢を低くし、ナイフを持った右手をゆらゆらさせながら竜介の動きを見ている。

 竜介は立ち止まった。右足を少し出し、左肩を引いて手を腰に当てる。右手で下げていた刀の剣先を心持ち上げた。

 得意の下段半身の構えである。

「オモシロイ」

 カールは楽しそうだ。体を微妙にくねくねと動かし始めたが、頭はじっと動かない。

 唇に笑みを浮かべてる。

 竜介はぞっとした。人間とは思えない。得体の知れない野獣と向かい合っているようだ。

 こんなタイプの相手は初めてである。

 これは・・・殺されるかも。

 どう対処すれば良いのか分からなかった。竜介はパニックになった。

 勝ったなとカールは確信した。彼がこれまで倒した相手の目に必ず現れた揺らめきが竜介にも見えたからだ。

 だが油断はしない。カールは日本刀の切れ味は良く知っていた。

 カールが最初に動いた。

 懐に飛び込むと見せかけて横に飛んだ。

 狼狽した竜介が刀をさばけば隙が出来る。彼の脇腹をナイフで切り裂くイメージが閃いた。

 竜介には本能的にカールの動きと狙いが分った。

 刀をびくりとも動かさず、向きを変えただけでカールの次の動きを制した。

 この一瞬の動作で野獣が人間に戻った。

 これで五分五分だ。

ー慌てることはないー

 竜介は落ち着きを取り戻した。

ー出来るなー

 カールは内心唸った。

 竜介の目から揺らめきが消えている。

 カールは最初のチャンスを逃したのを悟った。それでも相手を倒す自信はあったが、問題は時間だった。

 このまま睨み合っていたら、彼にとって状況はまずくなる一方である。

 カールの決断は速い。ふっと構えを解くと、相手を無視してすたすたと竜介が叩き壊したケースへ向かって歩き始めた。

 意表を突かれた竜介はあっ気に取られている。カールの意図が分らない。

 ナイフを口にくわえると素早く三枚のガラスの破片を拾い、竜介に向き直るといきなり一枚を円盤を投げるように水平に投げ付けた。

 正確なコントロールでガラス片は回転しながら真っ直ぐ竜介に向かってきた。

「あっ」と体を避けるとガラス片はそのまま浩二の方へ飛んできて、びっくりした彼はひっくり返って避けた。

 カールは竜介に向かって走り出した。二枚目のガラス片を投げる。

 避ける余裕はない。竜介は刀でとっさに叩き落した。

 カールが狙っていた瞬間だ。最後の一枚を投げつけ、くわえたナイフを手に取ると突進した。

 刀で払っても体で逃げても隙が出来てカールのナイフの餌食になる。

 竜介は左腕でガラス片を払い、左足を軸に右足を蹴って一回転しながら小太刀を振り下ろした。ナイフを狙ったつもりだったが刀は空を切った。

(外したか!)

 腹が切り裂かれるのを覚悟した。

 視界を、宙に舞うナイフ、四本の白い指、血しぶきが横切る。

 竜介の狙いは少しずれ、刀はナイフを握ったカールの親指以外の指を関節から切り裂いたのだ。

 切った本人も切られたカールも何の感覚も感じない恐ろしい日本刀の切れ味だった。

 われに返ったのはカールの方が一瞬早かった。無事な左の拳を竜介の顔面に叩き込む。

 竜介の顎の骨が砕け、崩れるように倒れた。ガラス片で裂けた左腕から血が吹き出している。

 カールは刀を取り上げ、とどめをさそうと振りかぶった。

 ダッシュしてきた人影がカールに体当たりし、刀が吹っ飛んだ。

 マコーミックだった。

 ふたりの男は床の上を激しく争いながら転げまわった。右手が無事ならカールはFBIの若造など問題にしなかったろう。

 マコーミックがどうやらカールを押さえ込んだように見えたが、最後にカールの強靭な力が勝ち、失った指から噴き出る血を相手の両目になすりつけた。

 悲鳴を上げるマコーミックを振りほどいて立ち上がったカールは二度、三度と蹴りつけた。

「Carl」

 モニカが声を掛けた。カールは蹴り続けている。

「CARL!」

 と今度は大きな声だった。

 目を向けたカールに聞いてみろと言うふうにモニカは頭を振った。遠くからパトカーらしいサイレンが聞こえる。

 カールは平静を取り戻すとモニカと恵美のそばへ寄り、アタッシュケースを左手に持って武田を見た。

「オイ、タケダ。オマエノダイジナボートトコノオンナヲ、ブジカエシテホシカッタラ、サツニアトヲ、オワセルンジャネエゾ。ワカッタカ」

 武田は血走った目でカールを睨みつけた。

 入り口から拳銃を手にアイリスが飛び込んできた。

 チラッと床に横たわるマコーミックに気遣わしげな視線を送ったが、カールやモニカを見て拳銃を構え、叫んだ。

「Freeze!」(動くな!)

 浩二が飛び出して両手を上げ、大声で注意する。

「撃つな。恵美が人質になっている!」その隙に恵美を引きずるようにして三人はテラスへ出た。

 カールは駆け出し、アタッシュケースをボートに放り込むと飛び乗った。

 相変わらず恵美の顎にベレッタを押し付けたまま、モニカは油断なくボートへ向かう。

 おろおろと後を追う浩二は必死でモニカに話しかけた。

「なあ、もういいだろう。彼女を連れて行っても邪魔なだけだよ。どうか放してくれ。お願いします。Please, please let her go!」

 モニカがチラッと浩二の背後を見る。

 振り返った浩二はアイリスがテラスに出てこようとするのを認めた。

「アイリス、戻って!戻って!テラスには来るな。恵美が危ないんだ」

 アイリスはためらったが、うなずいて消えた。

 ボートのエンジンがかかり、カールは左手だけで苦労してもやい綱を外している。

 モニカと恵美もボートの舷側までたどり着いた。

 浩二が悲痛な叫び声を上げた。

「自分が行く。彼女は自由にしてやってくれ。頼む!」

 カールが浩二を見て、ニヤリと笑う。

「スマネエナ。オマエハイラナイ」

 モニカがいきなり恵美を突き飛ばしたので、彼女はボートに転げ落ちた。続いてモニカが飛び乗る。モーター音が高くなり、ボートが動き出す。浩二も飛び乗ろうと駆け出した。

 モニカがベレッタを撃った。

 浩二の顔面に血が飛び散り、彼はそのまま湖面に落下した。

「イヤァーッ!」

 恵美が絶叫する。

 ボートは猛スピードで走り出した。

 恵美がモニカのベレッタを持つ腕にかぶりついた。噛み付くような生易しさではない。凄まじい意志で肉片を噛み千切ろうとしている。

 モニカは悲鳴を上げた。

「Bitch!」(クソ女!)

 必死に腕を恵美の口から引き抜こうとするモニカは指に力が入り、運転しているカールの背中でベレッタが暴発した。

 至近距離で発射された弾丸はカールの第四腰椎を粉砕した。

「グエッ」

 呻いたカールはハンドルにしがみ付いたまま崩れ落ちる。

 体の重みで舵が曲がり、沖合いに向かっていたボートはターンして岸壁に突進しはじめた。

 恵美は視界の隅で陸地がぐんぐん迫ってくるのに気がつき、死に物狂いでモニカを突き飛ばすと、口元を血で真っ赤に染めながら湖に飛び込んだ。

 モニカがもがきながら立ち上がろうとした瞬間にボートは岸壁に激突し、爆発する。

 燃え上がる黒煙の中をアタッシュケースから飛び散った一万円札がひらひらと舞っていた。

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